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朝一から閉店までφ ★
2017/05/09(火) 17:27:54.25 9
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170509/k10010974771000.html
News Up 親友が難病になりました
5月9日 15時49分
「もし、あなたのかけがえのない親友が病気になったら、それも治ることが難しい難病になったら、あなたどうしますか?」
そんな難しい問いをテーマに掲げたミュージカルが3月、横浜市で上演されました。実はこのミュージカル、上演自体が、その答えでした。
(報道局・牧本真由美記者)
若き日のおもちゃ鑑定士
ミュージカルで俳優が演じるのは、テレビの人気鑑定番組に出演しているおもちゃ鑑定士の北原照久さん。
現在、69歳の北原さんは、古いブリキのおもちゃを3000点以上展示している横浜市の「おもちゃ博物館」の館長も務めています。
その北原さん、舞台ではまだ世に知られる前の20代半ばの若者です。
そして、もう1人、親友役が登場します。
名前を矢野雅幸さんといいます。
矢野さんこそ北原さんをおもちゃ鑑定士に導いた人なのです。
ミュージカルで2人は自分たちの宝物「ブリキのおもちゃ」を探し集める旅に出ます。
時刻表を片手に電車を乗り継いでたどり着いたおもちゃ屋。
しかし、ブリキのおもちゃは、後から来た転売目的の大人に買い占められてしまいます。
店主にだまされて欲しくないおもちゃを買わされてしまう場面もあります。
しかし、どんなに失敗しても、2人は「次行こう、次!」という合言葉をかけあいます。
今、目の前にあることがダメでも諦めずに前に進んでいくのです。
親友が難病になりました
会場では北原さんと矢野さんが舞台を見守っていました。
矢野さんは車いすにもたれるように座っています。
現在67歳の矢野さんは、全身の筋肉が衰え動かなくなる難病のALS=筋萎縮性側索硬化症を患って8年になります。
手足はまひし、すでに声を出すこともできません。
このミュージカルは、北原さんが難病を患う矢野さんを励まそうと2人の青春時代をつづった本を出版したのがきっかけで、舞台化が決まったのです。
レールを外してくれた親友
2人が出会ったのは、ともに20代の半ば過ぎ。
北原さんは父親が経営するスポーツ用品店を継ぐ予定でした。
決められた人生のレールを歩いていたといいます。
そして、趣味として、古いアメリカのおもちゃや時計を集めていました。
そんなある日、雑誌に載っていた矢野さんの部屋の写真に目が止まります。
おしゃれな部屋を紹介するコーナーの写真。その部屋の棚にたくさんの古いブリキのおもちゃが並んでいたのです。
矢野さんはレコードジャケットのデザインなどを手がけるデザイナー。
おもちゃにひかれた北原さんは「部屋を見たい」と出版社に電話をして、矢野さんに会えることなりました。
迎え入れた矢野さんは、北原さんが純粋におもちゃに感動している様子に心を動かされ、2人のつきあいが始まります。
矢野さんはいつも北原さんに「夢は何?」と尋ねていたそうです。
北原さんは、自分の夢は何かという問いに初めて向き合い、「大好きなおもちゃを集めて博物館を開きたい」という夢を抱くようになったのです。
夢を聞いた矢野さんは「北原さんなら絶対できる」と背中を押します。
そして、「次行こう、次!」を合言葉のように繰り返し、何十軒ものおもちゃ屋を回りました。
「次行こう、次!」の言葉に励まされ、北原さんはおもちゃ博物館を作って館長となり、今、世に知られるようになったのです。
↓
News Up 親友が難病になりました
5月9日 15時49分
「もし、あなたのかけがえのない親友が病気になったら、それも治ることが難しい難病になったら、あなたどうしますか?」
そんな難しい問いをテーマに掲げたミュージカルが3月、横浜市で上演されました。実はこのミュージカル、上演自体が、その答えでした。
(報道局・牧本真由美記者)
若き日のおもちゃ鑑定士
ミュージカルで俳優が演じるのは、テレビの人気鑑定番組に出演しているおもちゃ鑑定士の北原照久さん。
現在、69歳の北原さんは、古いブリキのおもちゃを3000点以上展示している横浜市の「おもちゃ博物館」の館長も務めています。
その北原さん、舞台ではまだ世に知られる前の20代半ばの若者です。
そして、もう1人、親友役が登場します。
名前を矢野雅幸さんといいます。
矢野さんこそ北原さんをおもちゃ鑑定士に導いた人なのです。
ミュージカルで2人は自分たちの宝物「ブリキのおもちゃ」を探し集める旅に出ます。
時刻表を片手に電車を乗り継いでたどり着いたおもちゃ屋。
しかし、ブリキのおもちゃは、後から来た転売目的の大人に買い占められてしまいます。
店主にだまされて欲しくないおもちゃを買わされてしまう場面もあります。
しかし、どんなに失敗しても、2人は「次行こう、次!」という合言葉をかけあいます。
今、目の前にあることがダメでも諦めずに前に進んでいくのです。
親友が難病になりました
会場では北原さんと矢野さんが舞台を見守っていました。
矢野さんは車いすにもたれるように座っています。
現在67歳の矢野さんは、全身の筋肉が衰え動かなくなる難病のALS=筋萎縮性側索硬化症を患って8年になります。
手足はまひし、すでに声を出すこともできません。
このミュージカルは、北原さんが難病を患う矢野さんを励まそうと2人の青春時代をつづった本を出版したのがきっかけで、舞台化が決まったのです。
レールを外してくれた親友
2人が出会ったのは、ともに20代の半ば過ぎ。
北原さんは父親が経営するスポーツ用品店を継ぐ予定でした。
決められた人生のレールを歩いていたといいます。
そして、趣味として、古いアメリカのおもちゃや時計を集めていました。
そんなある日、雑誌に載っていた矢野さんの部屋の写真に目が止まります。
おしゃれな部屋を紹介するコーナーの写真。その部屋の棚にたくさんの古いブリキのおもちゃが並んでいたのです。
矢野さんはレコードジャケットのデザインなどを手がけるデザイナー。
おもちゃにひかれた北原さんは「部屋を見たい」と出版社に電話をして、矢野さんに会えることなりました。
迎え入れた矢野さんは、北原さんが純粋におもちゃに感動している様子に心を動かされ、2人のつきあいが始まります。
矢野さんはいつも北原さんに「夢は何?」と尋ねていたそうです。
北原さんは、自分の夢は何かという問いに初めて向き合い、「大好きなおもちゃを集めて博物館を開きたい」という夢を抱くようになったのです。
夢を聞いた矢野さんは「北原さんなら絶対できる」と背中を押します。
そして、「次行こう、次!」を合言葉のように繰り返し、何十軒ものおもちゃ屋を回りました。
「次行こう、次!」の言葉に励まされ、北原さんはおもちゃ博物館を作って館長となり、今、世に知られるようになったのです。
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