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国名 31
倭、対馬、一支、末廬、伊都、奴(北九州)、不彌、投馬、邪馬臺、斯馬、
巳百支、伊邪、都支、彌奴、 好古都、不呼、姐奴、對蘇、蘇奴、 呼邑、
華奴蘇奴、鬼、爲吾、鬼奴、 邪馬、躬臣、巴利、支惟、烏奴、奴(絶遠地)、
狗奴
人名 8
卑彌呼、卑彌弓呼、掖邪狗、伊聲耆、臺與、載斯烏越、難升米、都市牛利
官名 14
卑狗、卑奴母離、爾支、泄謨觚、柄渠觚、兕馬觚、多模、彌彌、彌彌那利、伊支馬、
彌馬升、弥馬獲支、奴佳鞮、狗古智卑狗
3世紀以前の倭人語の音韻結合の特徴は8世紀(奈良時代)の日本語の特徴と同じであることが、森博達らによって解明されている[1]。
奈良時代(上代)における日本語の音韻結合の主な特徴としては
開口音節(母音終わり)を原則とする。
ア行は原則として頭音にくること。
頭音には原則としてラ行が来ないこと。
頭音には原則として濁音が来ないこと。
などがある。
他方、倭人伝の訳音語を中国の中古音体系の「切韻」によって分類すると次のような特徴が明らかとなる。
開口字が全体の92%を占め[2]、
母音終わりの文字が88%を占めている[3]。
したがって、倭人伝の訳音語は開口音節が原則となっている。
「おそらく倭人語には、上代日本語と同様、閉音節(子音終り)は存在しなかったであろう」[4]。
ア行に用いられた可能性のある字は「伊」「巳」「惟」「一」「邑」「烏」の6種類10字であるが、
この内、語頭以外で用いられているのは「支惟国」、「呼邑国」および「載斯烏越」である。
しかし「惟」が「邪(ヤ)」や「与(ヨ)」と同じ喉音「以」の子音(声類)に属しているので「ヤ」行の語であればア行ではなくなる。
「邑」と「烏」も「倭(ワ)」と同じ喉音「影」の子音(声類)に属しているのでワ行であればア行ではなくなる。
すなわち頭音でないところで使われているア行の字は見あたらくなり、奈良時代の日本語の特徴に一致する。
ラ行と考えられる舌音「来」の子音に属する「廬」「離」「利」は、
末盧国、都市牛利、彌彌那利、巴利国、卑奴母離の6例であり、すべて頭音にきていない。
語頭に濁音文字(全濁音字)が来ている語には「兕馬觚」、「投馬」そして「臺与」の3つがある。
しかし、これらの「全濁音字が場合によっては倭人語の清音を表すのに用いられた可能性もある」[5]。
「兕馬觚」は「しまこ」、「投馬」は「とま」あるいは「つま」、「臺与」は「とよ」と読む可能性が指摘されており、
その場合頭音に濁音が来ないこととなり、奈良時代の日本語の特徴に一致する。
このように、倭人伝の訳音語は基本的に上代日本語の音韻結合の法則性に従う可能性の高いことが明らかになってきた。
奈良時代(上代)における日本語の音韻の種類と構造は、
同時代の中国の音韻と比較するとさらに次の様な特徴がある。
上代日本語には中国音韻のハ (h) 行(喉音<暁>や喉音<匣>)の音韻がない。
上代日本語のハ行はパ (p) のような唇音であったので、
中国中古音韻の喉音<暁>や喉音<里>の声類に属する字はカ行音に表記されている。
おなじ特徴が倭人伝の訳音語に見られる。
「卑弥呼」の「呼」は中国音韻では喉音<暁>のハ行の子音(声類)であるが、
日本語では「ヒミコ」とカ行で訳された可能性が高い、この表記は倭人がその音韻に基づいて行ったためと考えられる。
ここでも倭人伝の訳音語は上代日本語の音韻の種類と同じ性質を持っていることを示唆する。
上代日本語には中国音韻の次清音がない
万葉仮名には中国音韻の次清音字が使われている。
しかし、日本書紀のα群と呼ばれる歌謡には、次清音字が仮名として全く使われていない。
これはα群が中国人によって訳音された仮名文字が使用されたためと考えられている。
中国人の耳には上代日本語に次清音がなかったとこを意味している。
倭人伝の訳音語にも次清音字は見られない。
ここでも倭人伝の訳音語は上代日本語の音韻の種類と同じ性質を持っていることを示唆する。
この特徴は、中国原音に基づいて音訳された語が倭人伝に多かったことを物語る。
ただし、中国原音に基づかない、「卑弥呼」や「対馬国」などの表記があることも事実である。
ただし、上代日本語の音韻結合の法則性に従わないように見える特徴もある。
オ列甲類の使用頻度問題
切韻「模」韻字に属する「奴」や「都」や「呼」などは延べ37回、全体の約25%に使われている[6]。
森博達の見解では「模」韻字は上代日本語のオ列甲類を表す音節に使われる。
ところが上代日本語のオ列甲類の使用頻度は4%と極めて少なく、
倭人語とは顕著な差があると森博達は主張する。この違いをどう解釈するかという問題が残る[7]。
解決点は「模」韻字の発音の変化にある。
「模」韻字は中国中古音ではオ列を表す文字として使用されたが、
後漢時代以前の上古音ではア列を表す文字として使われたことが知られている[8]。
「奴国」の「奴」は「ナ」と発音されオ列甲音にならないのは、後漢時代に既に金印に「奴国」と刻印され、
上古音のア列を表す文字として使われた過去を踏襲したからである。
「模」韻字の「廬」も「末廬国」に「ラ」と発音されア列となっている。
「模」も「多模」で「タマ」と発音しア行の可能性がある。
つまり「模」韻字の属する「奴」「廬」「模」がのべ17回つかわれているが、それらすべてがア列で発音されるなら、
残りの「模」韻字のオ列甲類の頻度は20回、全体の14%となる。
さらに「蘇」が「サ」、「謨」が「マ」または「ム」、「吾」が「ガ」と発音されたなら、
残りの「模」韻字のオ列甲類の頻度は15回、全体の10%となる。
オ列甲類の使用頻度が10~15%であれば高いとは言えず、上代日本語の特徴と矛盾しない。
オ列甲類の複数存在問題
森の指摘する第二の問題は一語中におけるオ列甲類語の複数存在の問題である。
上代日本語には特殊な語を除いて「同一結合単位に甲類のオ列音が複数存在することがない」[9]。
ところが倭人語にはオ列甲類とみなされる「模」韻字の複数存在する例が5つみられる。
好古都国、蘇奴国、華奴蘇奴国、烏奴国および泄謨觚である。
この問題の解決の糸口は、第一の頻度問題と同じく、
倭人語の「模」韻字にはオ列ではなくア列を発音する語が少なからず存在することである。
特に「奴」は「ナ」と発音されることがほぼ確実である。
したがって蘇奴国、華奴蘇奴国および烏奴国に関してはオ列甲類が複数存在したことにはならない。
泄謨觚に関しても「セムコ」あるいは「セマコ」と呼ばれたなら、オ列甲類が複数存在したことにはならない。
ただし好古都国に関してはまだ解決の方策は見いだせない。
好古都国が「クカト」国あるいは「コカツ」国と発音されたならオ列甲類が複数存在したことにはならないが、
そのように解釈する根拠はまだ見いだせない。
いずれにせよ、オ列甲類の複数存在問題は解決の糸口があるばかりか、この法則性は発音の可能範囲にある限定を与えてくれる。
「好古都」が上代日本語の法則性に従うなら「ココト」や「コカト」とはならないが、
「クカト」や「コカツ」は可能である。
1^ a b 森、1985年
2^ 母音の前に-u-が入る「合口字」は「末」「対」「鬼」「倭」「獲」「華」「為」「越」「惟」の9種、11字であり、
残りの135字はすべて開口字である(森、1985年、171頁)。
「合口字」が「獲」「華」「為」「越」「惟」などの喉音字に集中する現象も上代日本語と共通している。
3^ 訳音語に用いられた146字のうち、母音で終わらない「陽声字」は8字、
「入声字」は10字となり、陽声と入声を合わせた子音韻尾字の割合は12%である。
4^ 森、1985年、166頁
5^ 森、1985年、172頁
6^ 「奴」の使われ方に特徴が見られる。
「奴」が国の名前として使われているのが10回と
「卑奴母離」の官名に4回そして「奴佳鞮」の官名に1回ですべてである。
なぜ国名に「奴」が多く用いられるのか、という問いの答えが、
北九州の古来から知られている「奴国」に関連のある国、
「奴国」にかつて属していたあるいはその末裔の立てた国を意味するならば
「奴」を使用した頻度の高い理由は説明がつく。
7^ 森、1985年、185頁
8^ 中国における中古(隋・唐時代)の「模」韻字はオ列甲音で発音されていた、
しかし上古音(周時代)の「模」韻字は「魚部」に属しア行音で発音されていた。
魚部は前漢から後漢にかけてア列からオ列(甲類)に変化したからである。(森、1985年、184頁)。
9^ 森、1985年、187頁
>>4 >日本語では「ヒミコ」とカ行で訳された可能性が高い、この表記は倭人がその音韻に基づいて行ったためと考えられる。
意味不明
倭人伝の発音が上古音だとすると
邪馬台は「ŋiamatə」になってしまい、記紀の時代の日本語とはこれまた違う音構成となる
素直にオ甲は3世紀~8世紀にかけて徐々に少なくなったととるべき
Baxter-Sagartの中古音では[jae.mae.doj]になるね
aeは合字ね
jae.mae.doj
ひょっとして福岡の八女って....
高句麗みたいに地名の対応がとれないから、難しいのかな?
>>8 俺も疑問だな
ホならホで良い
倭人が文字を読み書きできると断言してるのと同じ
泄謨觚や兕馬觚との違いもわからない
先の発言とは矛盾するんだけど対馬は中古音twoi-mæより上古音tuts-mraの方がまだ近いんだよね
末盧も上古音mat-laのが松浦っぽい。
朝鮮半島近辺の地名は上古音の時代から漢字が割り当てられてたのかもしれない
tuts-mra
ひょっとして「つしま」は元々は「とつむら」(外つ邑)だったとか?
とつむら→つむら→つるま→つるしま→つしま?
馬と海は上古音では声母が一致するが、中古音では一致しないので、対馬(対海)は上古音で読むべきか
海にmの声母を当てる方言は現存しないようだが、なぜm→hの変化が起こったのだろう?
上古音の海の声母が無声化した[m]であることはあまりにも有名
なんだか現在のチベット=ビルマ語群の無声鼻音を彷彿とさせるね。
声符が「毎」だから一定の条件下で
毎 mhai→mai
海 mhai→hai
に変化したんだな
Baxterの再建形では「毎」は無声音でねえど?だからこそ現在[m]音なんだし。
>>23 あまり深く考えてないな
倭人伝に書かれた日本語を復元できるかというだけ
最古のサンプルなわけだしさ
>の議論にはどういう見解を持ってるんだろうか
そのサイトの最初には
>森学説に基づき、卑弥呼が「ピミヲ」→ ヒミオ(現代音)と読まれる可能性が高いことを論証します。
とあるから1のwikiと根っこは同じわけだろ
最終的な解釈は違うがどちらも興味深い
>>7 「奴」が多いのは中(ナカ)の古語ではないか
継体紀に三国の坂中井(サカナヰ)とある
ナがナカの本体で、カは接尾語だろう
ナカ(中、那珂、那賀…)という地名は日本中に無数にあるし
郡名レベルでも多数ある、奴国も旧那珂郡だ
これらの地名のうち古くから続くものは
時代が下って日本語の多音節化が進むとナからナカに置き換えられたのだろう
他に二つ可能性がある
一つは格助詞のナ/ノ
もう一つは蔑称、音ではなく訓で読む
特に「狗奴国」(イヌヒト国の訳?)のように○奴国となっているものはその可能性がある
「華奴蘇奴国」も、蘇奴は衍入で「華奴国」、隋書の秦王国のことかもしれない
>>15 上古音の再構は学者によって色々だけど対の末子音は-sとする説もあるな、上代日本語的にはどっちでもいいが。
それはさておき、倭人伝の入声字(同じ子音が後続するものを除く)は、母音の無声化を反映しているんだろう。
他の入声字を含む国名もそうなんじゃないかな。
一支は当たり前のようにイキと読んでいるが古くはイチキだったのでは。宗像三女神にイチキシマヒメがいる。
不彌、不呼の不にも入声の読み方(日本漢音でフツ)があるが、
不彌はフタミつまり二見かな?aが表記されないってちょっと苦しいが。
あるいはホツミで穂積氏の先祖のニギハヤヒがいた国とか?
日本人側の漢字運用だが「相模」なんて当て字もあるしな
弁辰に彌烏邪馬國=ミワヤマがあるから烏=ワじゃないか?
三輪山の神は海の向こうから来たって記紀に書いてあるし
他にも半島内に倭人語の地名があるかもね
>>2 邪馬臺って邪馬壹の誤記ってのは?
あ、逆だっけ?
>>30 http://kusegakunoto.progoo.com/bbs/kusegakunoto_tree_r_14825.html ここの14825からの流れが興味深い
でもタケシコヲ(剛醜男?)なら、なんでTa-ke-si-ko-woになるような文字選びをせずに、Tak-(e)sik-o-woになるような文字選びなんだろう
当時の漢語ではアンシェヌマンで発音することが頻繁だったのかな。それで外国語音を漢字転写する時もkを音節頭の子音と取らず、前の音節末とした?
さらに入声kの字ではなく、gの字を使ったってことは、当時の日本語はほぼ例外なく二音節目以降は連濁するという特徴だったのかな
「おか」ではなく「おが」とか、「かた」ではなく「かだ」とか
東北弁なんか今でもそうだっけ
たげしごを?
斯が使われてるってことは、少なくとも何らかの条件下ではs音も既に存在したってことか
ていうかすっごく乱暴に言えば漢字音の中古音っていうのは五胡十六朝時代の異民族流入の影響で、
上古音にあった三重母音とかが消滅して子音体系が簡略化して韻も若干変化した南北朝時代以降の中国語のこと
そこから、モンゴルの流入で今度は母音体系が大幅に簡略化された元代以降の中国語が近古音
だから、魏志倭人伝の漢字音は中古音は無視して原則的に全て上古音で読むべき
事実として、魏志倭人伝の日本語表記は明らかに上古音によってる
>>23 卑弥呼が「ぴみを」と読むってところまでは賛成だが、その後がおかしい
「ぴみ+を」と分解出来て前半のぴみ=姫であるのは正しいけど、語尾の「を」に治すの語幹なんて怪しいものを想定する必要なんてない
そんなものを想定しなくても、この「を」がタヂカラヲ、スサノヲなどの日本神話に登場する神名の「を」と同じものだと考えればいい
そのサイトでは、別のページで「上代以前の日本語では『を』が人間を意味する単語だった」と書いてるけど、ぴみをの「を」はまさしくそれだよ
卑弥呼という言葉の意味は「姫(高貴な身分にある女性)な人」であり、これは人名ではなく称号だろう
>上代以前の日本語では『を』が人間を意味する単語だった
オーストロネシア語族のジャワ語では、人と言う意味の単語は「wong」だったな...
いや、なんでもない
素人がごちゃごちゃ言ってんのは別として、ぶっちゃけオーストロネシア祖語と日本語の関係って学会では相手にされてないの?
>>38 >斯が使われてるってことは、少なくとも何らかの条件下ではs音も既に存在したってことか
どういう条件かによる
オオヒコは意富比{土危}オホヒキ
ワケは和希 和気ワキあるいは獲居ワコ
ワカタケルは獲加多支鹵ワカタキロ
そしてヒメは比彌ヒミ
卑弥はヒメの意で良い気がする
>>39 都市牛利は年寄と読んでは駄目なのだろうか?
spoken in areas bordering on Chinese?
もうずっと人大杉
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2ちゃんねるで最も勢いのあるスレッドです。
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会社役員でもある厚切りジェイソンが日本の雇用環境を指摘「できない無能にとっては天国」
ヽ(゚∀。)ノウェィwwww
を積極的に使っていくスタイル
あのー
倭人伝に書かれてた未解読の国名解読できたんですけど
需要ありますか?
日本史板行って書いてみたんですが利用者のレベルが低すぎて全く相手にならんので
言語学板に来たんですが
とりあえず、このブログに考えたこと書いてます
http://yamado.seesaa.net/article/435535541.html まずはっきりいって倭人伝の時代の日本語は大まかに九州側と畿内側で同じ単語でも母音がズレてる
記紀にある四国の名前に「伊予二名島」というのの2つの名前っていうのは
「イヨ乙」と「ウワ」。
上古には音韻の等語線が四国の西部を走っていたから二つの名前の呼び方があった
なんで「ウワ」が伊予とか四国の名前かというと
「宇和島」という地名、あれが怪しいとおもったんだよ
該当する島がないのに愛媛西部の広い範囲に「宇和」という地名がある
だからこれは四国そのものの、豊予海峡を挟んだ東九州側からの呼称ととるしかない訳です
この仮説が正しい場合
上古畿内方言で/iyö/が上古筑紫方言で/uwa/
半母音は渡り音の環境異音であるととって考えれば
畿内では/i/,/ö/、筑紫では/u/,/a/
で、ここからが大事なんだけど
畿内での/i/が筑紫の/u/であるなら
比定地不明の「不弥国」
ここは当時の同地の方言では「フミ」だけど
大和での言い方をすると「ヒメ」つまり姫=女王である可能性があり
同じく手がかりがなかった「不呼国」の「フコ」も「ヒコ」つまり彦=男王だと解釈できるようになる
魏志倭人伝の原文と和訳
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm ここからはこれを参照しながら考えてくれ
次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、次有好古都國、
次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、
次有鬼國、次有為吾國、次有鬼奴國、次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、
次有烏奴國、次有奴國、此女王境界所盡。
其南有狗奴國、男子為王、其官有狗古智卑狗、不屬女王。
この順番通りに、国名にある地形などを表す語彙や現在に繋がる地名についての仮説を立てながら
一筆書きの要領でこういう地図を作製してみた
これが各国の位置と名前、復元した弥生語とその意味だ
邪馬台国 やまど/ヤマ・ドェ:山・後 大阪府南部から奈良県北西部、中心地は柏原・八尾・藤井寺のあたり
斯馬国 しま/スィマ:島 兵庫県淡路島
已百支国 いわき/イパッキ:粟岳 徳島県北部(阿波)、中心地は阿波市
伊邪国 いや/イヤ:親 愛媛県東部、中心地は西条市
都支国 とき/トキ:岳(高地) 香川県、おそらく高松市の牟礼が港。讃岐(サヌキ)は「サ(海峡)+トキ」
弥奴国 みな/ミナ:海浦 愛媛県中部、中心地は松山市
好古都国 こうくと/?:好き古の都 福岡県東部~大分県(豊国)、もしかすると京都郡の語源?おそらく台与の治めた都
不呼国 ふこ/プェコ:彦(男王) 宮崎県、つまり西都原古墳群
姐奴国 しゃな/シャナ:狭(海峡)・浦 愛媛県西部、中心地は宇和島市、残存する地名としては佐多岬
対蘇国 とさ/トゥッサ:門つ狭、すなわち土佐 高知県。
蘇奴国 さな/サナ:狭(海峡)・浦 徳島県南部、那賀川流域
呼邑国 こおう/コ・エゥプ:子・岩 和歌山県田辺市付近
華奴蘇奴国 わなさな/ンワナ・サナ:岩浦・狭浦 和歌山県有田郡。残存する地名として湯浅
鬼国 き/クィ:木、すなわち紀伊 和歌山県和歌山市~奈良県葛木地方。
為吾国 いご/ウィゴ:岩またはイガ(起伏ある土地)、すなわち伊賀 三重県北部
鬼奴国 きな/クィナ:木浦 滋賀県~福井県嶺南
邪馬国 やま/ヤマ:山 京都府南部
躬臣国 くうじん/*イタミ:自らの臣 兵庫県南東部~大阪府北部、残存する大和言葉での地名は伊丹(イタミ=我が民)
巴利国 はり/パリス:原つ、すなわち播磨 兵庫県南西部、中心地は加古川あたり
支惟国 きい/キウィ:吉備 岡山県~広島県東部、中心地は総社市
烏奴国 あな/アナ:穴、すなわち穴門(長門) 山口県西部、下関付近
投馬国 づま/ンドゥマ:我が民、すなわち出雲 島根県東部。躬臣国の比定地伊丹(イタミ)とは同じ語
不弥国 ふみ/プェミ:姫(女王) 福岡県宗像市。ここが卑弥呼の女王国
狗奴国 くな/クェナ:木浦 熊本県・長崎県・佐賀県(火の国)、「狗古智卑狗」>熊本県菊池郡?
>>73 呼の頭子音はh系の摩擦音でkのような破裂音ではないのだけれど
どうして当時の中国人は「コ」を転写するのにkの音を持つ漢字でなく敢えて「呼」当てたとお考えで?
>>76 この考えを練る際に参照にしたウィクショナリー
https://en.wiktionary.org/wiki/%E5%91%BC これによれば上古音は/*qʰˤa/
qは破裂音なので問題はない
頻出する「奴(ナ)」という語なんだが
これは「松盧国」の「盧(盧)」、朝鮮半島の古代国名に登場する「盧」(のちの「羅」)と同じ意味の語だ
この頃の日本語で「海岸」という意味の言葉らしく、
今の日本語での相当する語彙は「海(うな)」なのだが、これは化石化していて、
代わりに「盧(ラ)」の方に基づく「浦(うら)」が普及している
倭人伝の時代の「奴(ナ)」「盧(ラ)」の言語境界線が通るのは奴国と末慮国の間、伊都国(福岡県糸島市)
出雲、丹波、但馬、出羽、東国、多摩、和泉、伊丹、稲美、多婆那
これらの地名の中に入っている/n~d~tVm~b~p/という音韻は全て「民(タミ)」のことだ
民(タミ)、友(トモ)、富(トミ)、為(タメ)、積む(ツム)、玉(タマ)、妻(ツマ)
これらは各地の倭系言語が融合して日本語が作られる際に同じ語源の言葉が様々な形で取り入れられて派生したと考えられる
>>77 推定上古音ではね
ではkもあるのにkではなくより喉奥で調音するqを敢えて選択したのはなぜだと?
日本語のカ行がかつて[q]だったとはかなり考えにくいと思うのだが
>>80 条件異音というものがある
現在でも「コ」という時、話者の認識が/ko/でも[ko]ではなく[qo]になりがちだろう
とにかく復元して驚いたことは今より音韻の方言差が激しいことと、なのに地名のボキャブラリーがものすごく少ない(共通している)ことだ
同じ単語の方言によるヴァリアントがけっこうある
「狭(海峡)」だと思われる単語として
蘇/*↑sa/, 姐/*↑sja/の2種類
「木」だと思われる単語として
鬼/*kɨ↑/, 狗/*kɯ↑/の2種類
「岩」だと思われる単語に至っては
華/*↑ʔwa/, 邑/*↑ɯp/, 為吾/*↑wiŋo/の3種類
畿内では/i/,/ö/、筑紫では/u/,/a/ と書いたが
これは訂正する
「狗」と「鬼」を同一語だと認定したから
畿内では/ï/,/ö/、筑紫では/u/,/a/
弥生語の再構は上代特殊仮名遣いに基づいているので
「伊予/宇和」ではハッキリしなかったイ段の甲乙も「鬼奴/狗奴」で確定する
>>84 いや
ないだろう
博多という漢字が充てられていることから考えて
当時の筑紫語での発音は/pakta ~ Φakəta/あたりが妥当だよ
躬臣国を音写した地名が存在していなくて
意訳だと考えれば伊丹(イタミ=i 私の + tami 民)という
一般的には語源が不明だとされている地名がぴったりな場所にある
同様に好古都国も意訳だと考えて
和語での名称は「トヨ=アシハラ・ノ・ナカ=ツ=クニ」とか
それか京都(みやこ)郡の本当の由来だと考えて「ミヤコ」がそうなのかもしれない
個人的には「博多(ハカタ)」の語源として
「捌け田(ハケタ)」つまり海が堆積物に埋まって水はけがよくなった場所で新しく開いた水田
という意味の筑紫語から来ている説をここで提唱しとくよ
縄文の海進の名残があった頃の海岸線はこんな感じで、博多は干潟状態
http://flood.firetree.net/?ll=33.5806,130.4342&;zoom=13
他人を悪く言う人間もムカつくが1みたいにネットでグチグチとリアルでの文句言う奴もモヤモヤする!、
その話の中で彼女さんは、私もそう思うwとか自分の彼氏が正直ダサいだのイケてないとか言った訳じゃないんだろ?、
お前がそこまでの事を言われてチャラ男達にくってかからないのは怖いからだけじゃないだろ?、
クラスのカースト(笑)の上下から生まれる立場上言いづらいのもあるだろ?下手な事言ったら孤立するかもな!、
彼女だってそうなんだよ!、
彼女だってカーストの上の方ならなおさら!
クラスで目立たなくて線引きするならモテない側の人間の事を堂々と好き好き言ったら異端だの変わり者だの言われるよ!
そりゃ周りは変わってる奴を叩くからな、高校やら大学みたいな閉鎖的空間ならなおさら!
その中で冗談めかしながらも、うるせぇしwみたいなどちらかと言うとフォローする方の発言をしてくれたんだろ!
お前が居ない時にだ!お前に気を使う必要の無い場面でだ!、それなのにお前はネットでグチグチウジウジと!
ドラマじゃねえんだチャラ男に文句言いに行けとは言わない、体鍛えるなり格闘技身に付けて見返せとも言わない!
ただお前がやるべき事はネットでグチを吐く事では絶対に無い!、
もっと彼女を信じて前向きにやって行けよ!
彼女がほんとにお前が好きならお前がしっかりすれば上手く行くよ!
ダメならまた次の女でも探せばいい!以上!って本スレで言ってやりたくなるくらいウジウジした野郎だ
この際はっきり言おう
倭人伝に記録されている九州の言語に一番近い現存の言語
それは奄美大島の言語だ
つまり上代筑紫語は日本語族日本語派ではなく日本語族琉球語派に属する言語
古代日本における海の民・海人(アマ)こそが、
朝廷を主導する天(アマ)だったのであり、
大化の改新と白村江の戦いから落ち延びて奄美の奄(アマ)となったのだ
"水主"を「カコ」と読むのは水を「掻く」という意味の動詞に名詞化の接辞-waがついた/*kakwa/という琉球語派特有の語形が大和語に取り入れられた結果だ
同様に兵庫県の地名の"武庫(ムコ)"が大阪の対岸(向こう)にあるからという語源説明は、
九州からやってきた海人が使用した筑紫語で「向く」を名詞化した/mukwa/を大和語へ借用された形だ
ちなみに、応神期以前のもともとの六甲山の名前は「菟餓野(トガノ)」だったと考えられる
これはなだらかな山を指す普通名詞で、音の通り「尖(トガ)った野(ノ)」という本意
おいおい
誰も俺の話をきかんのか
せっかく
>>1のお望み通りの研究を専門家でもないのに暇つぶしでやってみたらうまくいっていい気分なのにさ
つれないぜまったく
ところで韓伝に「狗慮国」っていうのがあるんだが
あれが俺の見立てでは「狗奴国」「鬼奴国」とは同じ日本語でできた国名だ
その日本語を今風に言うとな
「森林の港」を意味する「木浦(こうら)」なんだよ
今もあるだろ?読み方が違うけどおんなじ意味の都市名が
「木浦(モクポ)」ってあれもともと弥生時代からの由緒正しい日本語名が付いてたのを
統一新羅だか高麗だかが日本語嫌って漢語に呼び変えたっぽいぜ
マエムキ!
マエムキ!マエムキ!
マエムキ!マエムキ!
マエムキ!マエムキ!
マエムキ!
わーがーじーんせーい 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
>>93 台湾の「高雄」が、タカオからカオシュンに読み方変わったのと同じだな
べつに日本語嫌ったとかじゃないから
ないない
訓読みは平安時代中期以降に確立した漢文訓読の技術によって形成されたものだから、日本以外にはありえない
日本人って、朝鮮の話をする時に、そこが外国だってこと忘れることが多いよね
以前、ホンタクが積み肥でエイを発酵させて作られるからって、エイのウンコ漬けだとかデマ流したやつもいたし
日本統治以前のソウルが糞尿を道に溢れさせた不衛生な街だって騒ぐやつもいた
そもそも、糞尿を肥料化する技術は日本の独自技術だから、朝鮮を含めて、日本以外に同じ技術があるわけないのであって
ホンタクの積み肥にウンコなんて含まれてるわけないし、糞尿を道に捨てるのは、日本以外、世界中どこでもやってたことで
実際、20世紀初頭にロンドンでハイヒールが発明されたのは、女性が糞尿でドレスの裾を汚さないための発明だったわけだ
「試し腹」なんて、日本人がでっちあげた一番ひどいデマだよな
ただ、でっちあげた日本人が、朝鮮を外国だってことを忘れてくれてたおかげで、デマだとバレたわけで
ある意味、もろ刃の刃なのかもしれん
朝鮮語にそもそも「ためす」という動詞がなくて、代わりに「体験する」「試験する」みたいな漢字語を使ってる、という
ことを、このでっちあげた日本人が知っていたら、「試し腹」ではなく「体験腹」とか「試験腹」とか名づけてたんだろうな
中国地方での内輪東京式アクセント地域に邪馬台国の勢力圏が合うように訂正
烏奴国は穴門国ではなく吉備穴国であるようだ
・近畿地方における京阪式アクセント使用地域
・中国地方における内輪東京式アクセント使用地域
・九州地方における外輪東京式アクセント使用地域
これらは邪馬台国、すなわち初期の大和朝廷の影響が強かったからこのような方言となった
考古学もそれを裏付けている。広島周辺は初期の前方後円墳がない
>>106 それはどうだろうねえ
僕は違うともうな
>>99 無いね。平音に清音が多いからそう思うんだろうけど。当時の流行だろうね。
>>106には何も書いてないように見えるんだが(ピリオド一つだけ)
>>107には何か見えるのか?
「『梁書』新羅伝」を見ていたら日本語起源らしい新羅語名詞があった
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/siragi-kanbun1-ryosho.htm >名國為邦、弓為弧、賊為寇、行酒為行觴。
このうちの「觴(シャウ、 상)」は日本語の酒「(サカ)」の訛ったもの
>其俗呼城曰健牟羅、其邑在内曰啄評、在外曰邑勒
この中で
「健牟羅(ゴンムラ、견모라)」は「国村(クニムラ)」
「啄評(ツクビャウ、탁평)」は「築広げ(ツキヒロゲ)」(朝鮮語「둑」は堤、土手のこと)
「邑勒(オフロク、읍륵)」は「開き(ヒラキ)」、もっと正確には「イ(我々の)」と「ハラ(開墾地)」「カ(場所)」の合成(茨城と同じ)
どないよ?
>>75 徳島南部はかつては長の国(今に伝わる地名としては那賀)だけど、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%9B%BD%E9%80%A0 蘇奴国系の支配者を打ち負かして長国造が支配者となったのかな
蘇奴の今に残る名残が佐村河内、じゃなくて佐那河内か
その後阿波の国に併合されるけど
上代日本語において幅を利かせている八母音説ってのがそもそも怪しすぎる
当時の書物に記されている甲音と乙音の使い分けを論拠としているんだろうけど、
あれってその頃に大陸から渡ってきた渡来人或いは帰化人が母国語に則って指導した結果でしょ?
漢字圏の人間による助力も無しに日本が漢字を取り入れたなんてことはまずあり得ない
そして助力したであろう彼らがわざわざ漢語を五母音の発音に落とし込んだり、
和語を五母音の漢字表記に落とし込んだりするなんてことも考えにくい
むしろ母国語に合わせて日本語の発音を拡張したり音韻を区別したりしようとするのが自然なはず
だいたい長い時を経て使われ続けた言語に母音や子音の交替が生じたってならまだしも、
母音の消滅が複数個も生じたなんて話は今まで聞いたことがないぞ
そのあたり言語学的な見地からいって実際のところどうなんだろ??
知らない外語は聞こえた通りに音写する方が普通だと思うが。
たとえばアラビア語の挨拶は、聞こえた通りカタカナで書けば、「アッサラーム アレイコム」となる。
しかし、彼らは3母音しか区別できないのであり、彼らの認識では、
「アッサラーム アライクム」と発音したつもりでいる。
つまり
>>115を
>>117の例えを借りて言い換えれば、
『アラビアンが3母音の区別で他国の音標文字を取り入れたというよりも
ジャパニーズが5母音の区別で自国の音標文字を送り出して教えた』
という考え方をしてる訳ですよ。
前者の場合は3母音で区別して書くため、
当然『アッサラーム アライクム』のような表し方をする。
しかし、後者の場合は5母音で区別して書くため、
前後の音や抑揚によってできる僅かな音揺れをも表せてしまい、
結果『アッサラーム アレイコム』のような表し方をしてしまう。
実際これは日本語の『ん』を英語で表す時にもよく起こる現象ですね。
上代の特殊な仮名遣いに見られる区別は8世紀中ごろには衰えたとあるので、
話し言葉として定着せずに書き言葉の中だけで消えていった外来式の表し方なのでしょう。
日本語はおおよそ今も昔も変わらぬ基本を持っているので、母音は5つかそれより少ないかですよ。
自由異音と考えるには区別が厳密であり、条件異音と考えようとも条件が見つからない。
つまり未だ条件のはっきりとしない条件異音なのではないでしょうか。
そうなると諸外国に残る当時の音写や現在のチャイニーズからの助言が要りそうで難しいですね。
おんなとかさんまを、Onna、Sammaと表記するけど、発音は両方とも同じ「ん」だと認識してる状態?
なにか法則が見つかるなら上代の日本語もそうかも
>>123 上代の日本語の8母音は、4つの単母音が基本となっていて、残りの4つは二重母音由来だと判明しているよ。
>>124 その解釈そのものは理に適ってるけど問題は母音発生と消滅までの期間なんだって
奈良時代前半の記述に確認された八つの母音が五十年くらい経った後のものには
おおよそ五つしか確認できない状況になってるなんてどう考えても異常事態でしょ?
一応時代が移り変わろうとしていた時期とはいえ同じ日本語でしかも島国だし
普及することなくあっさり消滅してしまうような音は母音というより訛りの範疇じゃない?
そう考えると大陸の人間が認識した音をそのまま音写したとしたほうが自然に思えるよ
それ以前に長く続いてきた消滅間近の母音を運良く記述した貴重な資料だとするのはご都合主義が過ぎるし
「ありがとうございます」が「あざーす」になったり、「ちがうよ」が「ちげーよ」になっても
はっきりと文字で書く習慣ができるまでは、一般的にあまり自覚されてなかったな
>>115 八母音の始まりが百済滅亡の時期、
八母音の混乱衰退が百済再興をめざすころ、
そして、同時期に書かれたものすべてが八母音ではなく、八母音のものと少ないながらも五母音のものとが存在すること、
これらのことから、当時は書記クラス(読み書きできる集団)が二集団(二流派)存在していた。
と言うより、突然に八母音集団が現れ消えていった。
また、単に"八母音"と呼んでいるが、単母音が八種あったとは限らず、いくつかは二重母音と考えられている。
またこの八母音は、万葉仮名の正しい読みを確定したり、他言語間の借用などには意味を発揮する
>>125 倭人伝を解読して出した母音体系では8母音のうち2種類のエ段とオ段甲類音は存在してなかったな
エ段はそもそも出てこないし、オ段甲類はア段と区別がつかない
<ア・イ甲・ウ・イ乙・オ乙>の5母音体系が弥生末の日本語だと思う
とある研究には、元々あった4母音に2重母音、或いは連母音から生まれたエが加えられて、
今の5母音になったとありました。
具体的に書くと、時代を下るにつれて上から順に、
< アä ・ イi ・ ウu̜˕ ・ オə >
< アä ・ イi ・ ウu̜˕ ・ エ(甲)ia→ɜ & エ(乙)ai→ɪ ・ オə >
< アä ・ イi ・ ウu̜˕ ・ エe̞ ・ オo̞ >
という形で変化したであろうとなっていました。
また、甲乙の多くは、2重母音とは呼べない連母音の域を出ないものであり、
エの甲乙についても、2重母音の域に達していたのか疑わしいとのことでした。
実際あつい(暑い)をあちいと言ったりわかうど(若人)をわこうどと言ったりはするけど、
そのとき二重母音らしき音が突如発生するなんてことはないから当然と言えば当然だろうね
琉球語を排除した「日本語派」なる系統群は果たして成立するのか?―「九州・琉球語派」と「中央日本語派」の提唱
https://researchmap.jp/?action=cv_download_main&;;upload_id=115317
*本発表の提案する系統樹に基づくと、琉球語とともに九州の諸方言が、奈良時代よ
り前に、中央語から分岐したことになる。
*中央語からの分岐後、琉球祖語話者は九州にとどまったが、10C~12Cに琉球列島
に移住し、九州に残った琉球祖語話者は、中央日本語に言語を置き換え、九州の琉球
語は痕跡を残さずに消滅したとする説 (Pellard2015) は再考すべきだろう。
*奈良時代より前に中央語から分岐したのは、九州・琉球祖語であり、この言語は九
州で話されていた可能性がある。10C~12Cに琉球列島に移住したのは、九州・琉
球語派の一方言の話者であり、この話者の方言が琉球祖語である (すなわち琉球祖
語の他からの分岐は琉球列島で生じた) という可能性を検討すべきであろう。した
がって、現在の九州方言は、琉球祖語と姉妹関係にある言語 (九州語) の末裔であ
り、九州における言語の取り換えは起こらなかった可能性もある。(当然、九州で
は中央語との激しい言語接触があったに違いないが。)
*日本語と音対応のある琉球語における漢語の存在も、(九州で話されていた) 九州・
琉球祖語の段階で、中央日本語から借用された可能性がある。
もし琉球列島の諸方言を独立の言語とみなすのであれば、系統論の観点からは、琉球語と姉
妹関係にある九州の諸方言も「九州語」として独立の言語とみなさなければならない。この場
合、琉球語と日本語とを二大系統群とみなすことを含意する「日琉語族」という名称がその根
拠を失うことになる。「日本語族」(日本語族琉球語、日本語族九州語、日本語族中央語など)
と言い換えるか、あるいは英名のJaponicをそのまま用い、ジャポニック語族と呼ぶべきであ
ろう。(これを「日本列島語族」と訳すのも一案であろう)。私見では、本発表の「九州・琉球
語派」を「南日本語派」と言い換えたうえで、九州、琉球の言語を、それぞれ「日本語族南日
本語派九州語」「日本語族南日本語派琉球語」と呼ぶことで、他のJaponic系統の諸言語 (中央
語や東日本の言語) をも考慮に入れた場合、それぞれの言語に統一性のある名称を与えること
が可能となる
九州・琉球語派仮説を信じると、古代九州語をさぐる鍵は、奄美・沖縄にあるかもしれない
>>137 >(これを「日本列島語族」と訳すのも一案であろう)。
琉球列島無視ですか
上古に九州において畿内とは大きく異なった言葉が話されていたというのは大いにあり得る
磐井の乱を平定するまでは大和から安定して支配されていなかった様に見えるし
>>140 日本は日本列島と琉球列島と千島列島で構成される
言葉遊びの領域だな
>日本列島の範囲は、おおむね、狭義と広義の2つの捉え方・見解がある。
>狭義の日本列島の範囲は、北海道島、本州島、四国島、九州島の4島とそれらに付随する島々の総称とする見解である[8]。
>広義の日本列島の範囲は、北海道島、本州島、四国島、九州島の4島とそれらに付随する島々、千島列島(クリル諸島)、南西諸島(主に奄美群島・沖縄諸島・先島諸島(宮古列島・八重山列島))、これらの総称とする見解である[9][10]。
>>129 ヤ行のイやワ行のウの音が本来含まれていたと考えられる言葉(射[yi]るや植う[wu])と
ア行のイやウの音が万葉仮名において書き分けられていないことから
当時はア行のイやウがそれぞれyiやwuに近い発音であったとする説もある
書き方を借りれば(アä / イyi / ウwu̜˕ / オə)となる
「こううんりゅうすい」最新話で、魏の王?に「なぜ卑弥呼に卑の字を使うんだ。日や陽を使うのが自然ではないか」と邪馬台国の使節?が問われる場面があって、
なんでその時代に訓読みが確立してて、しかも中国側でそれが周知なんだよと思ったw
そのうえに作者は、「卑」の字を当てたのは日本側だと思っているようだな
誰が字を振ったかで卑弥呼の呼が何の音を指していたかが大きく変わるな
卑は卑近という言葉を考えると
元々は卑語ではない可能性もあるしな
フツーに考えて漢字を駆使して当て字して行ったのは向こうの人だろ
こっち側はそんな事できる段階ではない
「卑近」の「卑」は普通に「いやしい」の意味と思うぞ
熟語が熟した結果として相手を卑しめるニュアンスが消えただけじゃないのか
對馬國 其大官曰 卑狗
副曰 卑奴母離
‥卑とか狗とか奴とかワザと使ってるだろ
候補になりうる漢字のなかからどれを選ぶかという段階で僻字を選んで貶めるということはあっただろう。
しかし漢籍において他民族の固有名詞は基本的に音訳されている。意味は入り込まない。
>>153 そうかもしれないがそうじゃないかもしれない
卑語だと断定は出来ないと思う
>>156 そりゃ音訳だ
音訳するのに当てる候補は複数あるんだから、選べる
邪馬台の「邪」‥ワザとだろ
悪い文字を当てておきながら金印を渡すという優遇政策はなんなんでしょうねえ?
最初に倭に来て固有名詞を記録した帯方郡の使節は倭のことを最果ての蛮族として蔑みの先入観があったか
その割にはやたら文化習俗が好印象に持ち上げられてる様にも見えるが
中原に文明あり
周囲は皆遅れた奴等ばかり
朝貢でもしてくれば愛(う)い奴じゃと土産も持たせてやろう
ただ、秩序は守れよ、華夷秩序ね
こういう中華思想だから
(周りに比べりゃ確かに進んでたからなぁ)
白山比咩神社の咩を「め」と読むのって、ひょっとして訓読みの中でも相当古い層?
‹羋›=‹咩› MC *mieX (綿婢切) OC *meʔ
羊の泣き声がメーメーなのは中国ゆずりなんだよなあ
てかそもそも元々日本に羊いないし
ヒトに飼われてるウシだからヒツジという可能性が
牛も元々日本にいないが元々「ウシ」がカモシカみたいな大きい草食獣を指す言葉だったと考えればなくもない
羊の日本での記録の初出は日本書紀推古天皇七年九月条
推古期には最初の日本語の文章が書かれてたいたし、琉球語との分岐年代も2200年前なので、日本語はとっくに出来上がっていた
>>170 琉球諸語は文章化がなされた最初の日本語の子孫などではない
琉球の諸言語における現代ならびに上古の日本語との母音の対応関係は完全に法則に従ってはおらず
明らかに推古期以前、上代特殊仮名遣い以前に消失した未知の要素によって分岐していることが推測されている
http://kikigengo.jp/nishihara/lib/exe/fetch.php?media=library:references:rkoj-pellard.pdf 詳しくはこのトマ・ペラールの論文を読むこと
えらそうなやっちゃなあ
人の褌で相撲を取りよってからに
スレタイ読めへんのか?
倭人伝の言語復元するならこれくらい基礎知識やぞ
琉球祖語自体は分岐が古いがその後和語の影響をかなり受けているので
一見分岐が古いようには見えないという事か
古い時代の倭人が土着としていた地に和人がどんどん入植していったと考えれば
つじつまは合うな
ヒツジは古代、何度か入ってきたが、湿潤な列島気候に適応できずに定着しなかった
蒸し暑い日本で羊毛をまとって居てはやってられない
>>176 奄美方言の中舌母音も乙種のイとエに、標準語でオのところがウになる音も乙種のオ対応してそうな感じはするんだがなあ
対応しないのは奈良時代末以降に流入した語彙ということになるか
そういう考え方に意味はない。言語学者ですらよく認識してないけど…
琉球諸語が九州方言と同じ系統グループというのは有名な話
日本語は大和語と筑紫語に分かれ琉諸語はその筑紫語から更に分岐した末裔
ただ現代の九州方言の方はそれがほとんど認知できないくらい大和語の影響を受けてるがな
琉球諸語の元となたった言語と大和の中央語の分岐自体はおそらくかなり古い
しかしその分岐の舞台は日本列島だろう
そして九州あたりで分岐した後、それなりに後の時代になって本土から琉球へ移民し現地の人々との間に言語交替を引き起こしたというのが尤もな筋だ
>>181 それ以前の基層も日本語族である可能性は?
沖縄本島は縄文文化圏で、中華王朝からは本土と同じく倭人の括りで見られていた様だが
日本人が入植するまでは無人島だったのか?
それはいくらなんでも不自然や
沖縄にはなぜか人骨が見つかってない時期があるらしい
さすがに原住民全滅とは考えたくないが
先住民を一人残らず殺戮または追放したのなら
そんな大事件は必ず神話や伝説として文化に痕跡を残してるはず
そんなの聞いたことがないからそんな事件があったとは考えにくい
そうすると考えられることとしては
先住民が疫病か何かで全滅したあと無人島となった沖縄に日本人が入植したとでも考えるしか無い
少なくとも本来先住民だった港川人等は全滅してるしな
喜界島の噴火の時は死んだ魚が腐って海が酷い状態だったという話もある
>>187 貝塚人ってのがいたけどそいつらは狩猟採集民族で数が少なかったのであっと言う間に駆逐されたんだと
>>189 言語交替って分かるか?
別にフランスやアイルランドでケルト人が絶滅させられたわけじゃないんだぞ?
それに古代エジプト人だって中国南部だってどこだってそうだ
syamuさんみたく無職童貞ならそりゃ子孫も残せず滅亡するわ
>>192 骨が違うんだよ
言語交替では骨は変わらないから
確実にどんな人でも可能な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
時間がある方はみてもいいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
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