中央線(特に快速)には101系の初期車が結構多かったので、103系と比べて見た目がボロかったのが印象に残っている。
103系は新製投入されたのが多かったし、転入組も冷房改造時に更新してたので結構きれいだった。
今から思えば、もっと101系を堪能すべきだったと後悔しているが、子供心には103系の方が当時は輝いていた。
当時、101系のモーター音は静かなのに、103系のモーター音は煩いのは、なぜなのか理解できなかった。
小学2年生だったとき、親からお小遣いもらって初めての乗り鉄にでかけた
北朝霞~南浦和~大宮~春日部~南越谷~北朝霞のルートで
行きの武蔵野線には、当時新車で入りたての103系がやってきた。
新車に乗れるなんてラッキーと思いながら上記ルートで乗り継ぎ、
南越谷でやってきた車両もまた新車の103系。
行きに乗った列車が西船橋まで往復して戻ってきただけなんだが、幼いオレは
そんなこと気付かず新車にまた乗れたと喜んだ。
今思えば101-1000をもっと堪能しておくべきだったと思うが、小遣い乏しい
小学生時代のうちに101-1000はほぼ撤退していたからなぁ。
>>2 70年代末の中央線、
101系:ほとんど非冷房、試験的に冷房改造したのが1編成位あったような。103系:全て冷房
あと網棚の網が布か金属か、方向幕があるかないか。 >>6
小学生なら新し物好きで当然だよ。
「僕は下駄電が良いです...」という、渋好みの児童はいないと思う(笑)
大宮~春日部~新越谷のルートでは、東武の下駄電・72系?7200系?が走ってたでしょ!!! >>7
中央快速の103系はサハが750番代という編成が多かったので車内に入るとサハだけ異様にボロいというのがあるね
特に1980年以降入った非ATC高運編成はそれが顕著だったと思う >>8
野田線初乗車だったが、3000系と3070(3050の見間違いか?)が混結していて
形式違うのにつないで平気なの?って不思議に思った。
伊勢崎線の記憶が全くないのは、来た電車が東上線と同じ8000系かカステラだったんだろう。 武蔵野線が開業した当初の鉄道ファン誌の投書欄に、こんな投書があった。
『駅間距離の長い武蔵野線で、ギア比の低い101系では速度が落ちやすく、
力行時間が長くなるため電気を食い過ぎてしまう。
よって、横須賀線から113系を転用すべきだ...』というものだった。
投書の主、現在は80歳前後の御仁だと推察しますが...
後年103系になったことをどう考えておられるのか、聞いてみたいものです(笑)
103系には101系やモハ72からの改造車があるけど、101系には他系列からの改造車はない。
えっ、「前面の窓の大きさが違う」が最初に出ると思ってたのに…
>>16
行先表示器の大きさが違うのに幕を流用したため両脇に隙間が出来ていた、
101-1000から103に置き換えが始まったときの武蔵野線
103のほうが大きかったってことだよな 103系には海外に渡った仲間がいる。101系は秩父鉄道に行った仲間がいる。
子供の頃はオレンジと黄色が101系、緑と水色が103系だと思ってた
101系は座席がガタガタで空いてる車内でも30分乗るのは地獄の苦痛だった。
背もたれがベッタンコに凹み、上端の横フレームが突き出てるため、
パイプ椅子に腰かけてるようだった。
それから見れば103系の座席は、初期型であってもまだよかった。
後期型は逆に座り心地が良すぎて、
ふんぞり返って通路に足を突き出すバカが多発した。
101系はドアの閉まり方がスローにならずバーンと閉まる
貫通幌が101系だけ旧型国電と同じだった
車体にV字型の吊りフックがある
パンタも初期型はPS13だったりとか旧型国電の名残があちこちにあった
>>21
ガラガラ...バターン♪
という、ギロチン扉は迫力満点だった...
あれ見たら、絶対に挟まれたくない、とビビッた客は大勢いたはず。 103系は高速域で床下からブオーという轟音が聴こえたな
モーターか抵抗器の冷却用ブロアか?
>>25
抵抗器の発熱を空冷するブロワーだった。
そのブロワー上の扉から乗り降りする女のスカートが風圧で勢いよく捲れて、
映画の"マリリンモンロー状態"になる事がよくあった!!!
一度被害に逢った女は、その扉を利用しなくなったものだ。 台車の揺れ心地は101系の方が柔らかくて好きだった
ブロワーがMGと繋がってたとか異端な構造だったな
冗長性に難ありで当然ブロワーが故障すると車内が停電する
その後の形式で分離されたが冷房化後もそのままだったみたい(冷房用と照明用が別々である)
側面方向幕は103系後期の車両だけではなかったかなぁ?
500番台とか1000番台...????
初期の一般形にはなかったと記憶してる。
103系は、冷改時に側面方向幕を付けている。
JR化後の簡易冷房車では取り付けていない車両があったけど。
>>33
103系でも基本形は1本でした。
改造により2本や3本が出来た...。
高窓車は当初から2本。
2本は「運転席窓」と「中央窓」です。
「右側窓」は手動式だったはず? >>19
首都圏に限って言えば、70年代初頭まではそれで正しかった。
崩れだしたのは、京浜東北線に助っ人101系が入ってから。
そのうちオレンジと黄色の103系も混ざってきて、70年代中後期が一番ごちゃごちゃしてて楽しかったな。 車両不足の国鉄時代はなんでもありの混成が、そこかしこでみられました。
京浜東北に103系が走り始めた当時は、「7連」で短かったのを覚えてる。
72系はみな10連だったのに....。
>>19
それの延長で、丸と縦が103、横が101みたいな覚え方した事あったな >>38
尾灯内ばめは初期の101系だけで、36年頃以降は外ばめ式
更に後年内ばめから外ばめに改造されたものも居る 全面窓中央に
「冷房車」の札が有るのが101系
あ
山手の103系にも有ったかな?
山手線にたった一本しかなかった冷房車に乗り遅れた時の悔しさは、
忘れることが出来ない。
あれは恵比寿駅だった....orz
モーター音の違いと足回りの硬さが一番の違いだと感じた。
テールライトがどうのこうのとは、
リアルに103/101系を知ってる者の回答ではないような気がする。
総武線の黄色の電車に冷房車が無いのは101系だから。
黄色の電車に103系を入れてほしい。そうすれば冷房車がある。
と小学生の頃は思ってた。
>>10
3000と3050はその種車時代(32と54)から併結可能
一方3070(←5000←53/58)とは元々制動系に互換性がないので不可
ちなみに53時代は57と併結可能だった
80年代当時、野田線の主力は3000で不足分を3050で補っていた状態
検査の都合上、暫定的に8000や78など20m車が配置されてたこともあった
3070は異端車だったので栃木ローカルに専念
七光台:3000、3050(一部)
館林:3050
新栃木:3070 >>43
101系冷房改造車が当初中央快速線限定だったのは、京王への対抗もあったんだろうな。
東京圏の国鉄と競合する路線で当時通勤冷房車を入れていたのが京王だけだったし。
70年代後期になって中央総武各停にもごく一部だが101系の追加冷房改造が出たけど。 >>45
国鉄を取材した当時の新聞報道では、京王線への対抗措置だ...と明言してました。 当時の国鉄でも並走する私鉄へのライバル心はあった。
顕著なのは京急だった。
鶴見付近で東海道・横須賀線と並走することがあれば、
「追い抜け!!!」と運転士に指導していたのは、事実。
中央快速の冷房投入も京王への対抗心だったことは事実。
101系の方が関東では最近まで現役だった
移籍先でだが
101系と103系の違い
ドアが閉まるとき
プシュッって言うのが103系
金枠ドアの車両があるのが103系
Hゴムドアの車両しかないのが101系
地下鉄対応として、1000番台・1500番台という派生形式があったのが103系
101系にはなかった....はずだが、武蔵野線はどうだったか??????
101系といえば王寺駅で冠水し、廃車間近の関東組が急遽派遣されたこと。
103系も広域転配していたけどあれだけ短期に大量に長距離移動はなかったんじゃないかな。
そういえば、何で関西の103は先頭車だけ初期車が多かったのか
関西の中間車では初期車は少ない
>>54
首都圏ATC化で発生した大量の低窓クハ103だわな 昭和55年頃の武蔵野線は野趣寂寞と言っても
いい、本当にここは関東だろうか?どんな電車
が来るのかと言う独特の寂しい雰囲気があった。そこに都会の電車の101系などが来るんだから不思議な違和感があった。と言っても、
新製間もないピカピカの山手線ATC高運転台
103系と違ってドア内側とか手摺の付け根部分が塗装だったり、高速走行中ドアがガンガン言ったり、古臭くて垢抜けない都落ち風情だった。でも実は駅間の長い武蔵野線では
モーターがヒュンヒュンとスムーズに音立てて
快走していて、常磐線快速の103の爆音とは一線画す考があった。
>>52
長いトンネルさえなければ72系が入っていたであろう路線だ。
結局仙石線に入ったアコモ車を、武蔵野線の電車として入れるって考えもあったそうな。
西国分寺~新秋津のトンネル対策として、結局は101系をA基準化改造した
101-1000が武蔵野線に入った。101でも初期車を選んで改造した。
その後103の新製車が1編成入り、>>56みたいな転属車で103系化され
8連化時に205の新製編成が入ったが、その205も全部廃車になったので
今の武蔵野線は中古率100%。武蔵野線開業時と同じだよ・・・ >>57
101-1000があったな!!
その頃の72系は "景品東北線" くらいじゃなかったかな? 東京の主要路線の72系は、
複々線化時に快速を103系8両で置き換えて大失敗した常磐線快速に
慌てて再投入された編成が最後かと。
常磐線の快速は103系より101系の方が向いてたんじゃないかという気もする。
国鉄主要路線の最後は国鉄解体の3年前まで
生き残ってた我が大東武7300系7800系では
ないか‼
とか言ったりして
国鉄主要路線の最後の72系は国鉄解体の
3年前まで生き残ってた我が大東武7300系
7800系ではないか
とか言ったりして
東武の「釣り掛け板張り電車」には萌えるものがあった。
北千住~竹の塚間がまだ複々線化されてなかった頃の話だが...。
5050系には裏切られたが、釣り掛け好きには密かな悦楽感があった。
101系の車体に釣り掛け台車を履いた車両ってあったよな!?!?
何処だったか忘れたけど....(/ω\)
身延線の113系ではない!!
>>64
鶴見線になかった?
車体は101系で足回りは旧型国電 >>65
ごめん!!
記憶にないです(陳謝)
101系が走ってたのは知ってますが...
レス感謝です、ありがとう♪
( ^^) _旦~~新茶どぞ >>52 57 64
72系の車体載せ替えは1972年のモハ72970。後に鶴見線に流れ着いた車
武蔵野線の開業は1973年4月。数を揃えるには工程的に無理があったのかも。
しかし現実には中央快速に103系冷房車を入れるためだったと思われ。
その年の台風で転用するはずだった72系が大量に水没・廃車となり、急遽改造されたのが
仙石線のモハ72971~。その後のことは皆さんご存知の通り。 101系にはパンタの部分だけ低屋根の車両(800番台)があるが103系にはない。
中央東線高尾以西の狭小トンネルを通過できるようにしたわけだが、これで富士急乗り入れを行っている。
103系で狭小トンネル対応車造らなかったのは、101系置換えの201系で対応すればよいと考えていたからか?
それと103は定期運転の地方私鉄乗り入れがない。101にしても富士急乗り入れだけだが。
高尾以遠はムコ限定で、800はムコ配置
その101を201で置き換えた訳だから
103系が絡む余地がない
ニワトリが先か卵が先か
後継を103系にしたいけど技術的な事情が
あって低屋根車作らんかったか、そもそも
もふ201の世代になってて最初から103系は
後継候補に上がらんかったか
秋茄子はムコに食わすな。ちげぇだろ嫁に
食わすなだろ。
>>71 201で狭小トンネルに対応できるパンタを装備したのが84年頃というから、技術的な事情なんでは。201の方が103に比べ屋根が平べったくなってるし、そこに改良型パンタを付けることによって狭小トンネルに対応できた。
103で201並みに屋根を平べったくできなかったのは、冷房装置やその配管を付けるために屋根内のスペースを縮小するのが難しかったからか? >>72 訂正。201が103に比べ屋根の高さが小さいわけではなく、屋根のカーブが緩くなっているので平べったくみえるようだな。屋根内のスペースの違いではなく、折り畳み高さが低いパンタが80年代に実用化できたのが原因か? 103系にPS23つけた方が高尾以西の山岳区間で出力的にも熱容量的にも有利だったのに
中央線(快速)はどういうわけなのか103系電車の方が先に置き換えられ101系電車の方が後まで残ってたな
201系電車の需給バランスか理由は
>>60氏の言わっしゃるように停車駅間の
長いとこでぶっ飛ばすような使い方では
101系の方が向いていた、からかなあ?
常磐線は快速も緩行も103では失敗だった
かと。緩行は地上区間はよかばってんが、
千代田線区間の、特に駅間の長い北千住
町屋西日暮里間は爆走中爆音がトンネルの
壁に反射して怖いくらいだった。ある雪の日
学校が積雪を懸念して午前で休校になり、
雪の中帰宅中、西日暮里町屋間で103系
1000番台のいつもの爆走中ついに爆音が
爆発して床下からドカーンと火花が出た。
後ろにいたおばちゃんがひぃぃぃぃと悲鳴
あげたと思ったら、またドカーンと言って、
おばちゃんまた悲鳴あげると同時にオレの
背中のシャツを鷲掴みに。。思わず振り向いたら小さい声でおばちゃん「ごめんなさい。。」 おばちゃんも女やのう、可愛いもんだ。
そのあと電車は町屋で運転打ち切り。
オレは都電に乗換えて日比谷線三ノ輪経由で
帰宅した。 101系はオールMじゃ無いと
高速域も103系に及ばないよ
>>76
同じ6M4Tの場合
高速域の加速は103の方が良いから >>75
中央快速の103系は特快の冷房化の為に必要最小限しか入らなかった感じがする モーターの出力を比較すると
101系8M2T≒103系6M4T
らしい
中央快速への101系投入に際して、当初国鉄では「10M」という構想を立てたが
出力過多と電気食いすぎ、という理由から非力を承知の6M4Tにした...
中央快速線であれば勾配も少ないからという理由であった
中央線の冷房化
ウラ→ミツへ ケトのATC化の為に103系転属が有り
201系までの繋ぎだったが
一両たりとも、塗り替えないと入れなかった
あの頃、ケトにも、中間にウグイス色が有ったりしてた時代
赤羽線に至っては、カナリアとウグイス、どっちが本当なの?
一つだけ、特快運用が有ったが
たしか・・・59Aだったかな
101系にMT54をつけることはできなかったのかな
豊田に103系高運の非ATC新車が入って、M車に乗って走り出した途端
何だこの変な音はと思った
後年はこの音がデフォになったけど
>>81
貧乏JR西の救世主と言える、半世紀使用も可能な頑丈馬鹿設計の103に対して、20年程度の使用しか想定していない101だったからな 101の
甲府行き
木更津行き
カナリア色に快速看板
ガラベン付き
前樋付き
Ps13付き
昔の写真見ると、偉くバラエティーに飛んだ車両だった事
実車見た事ないが
辛うじてks4b付きの車両に乗った事は有る
>>85
関西線にあったやつだな。
あれは元101系のクハを改造して103系に編入したやつ。 関東生まれ育ちの俺が2001年に大阪環状線に
乗ったら103系初期型で、手摺支持棒?とかが
塗装の古臭い感じで、かつての武蔵野線101系の都落ち感思い出した。ってか101系はおろか、103系でさえ随分記憶に遠くて都市中心部
に103が走っているのが不思議なタイムスリップ感があった。
東京育ちが大阪旅行すれば「外国感満載」だよ♪
90年代の大阪駅なんか、当時の韓国・ソウル駅に外観や構内の雰囲気もうり二つだった。
改札係員には東京弁(標準語)が通じず、ハングル(韓国語)で話しかけなきゃダメだった(笑)
1970年代に仙石線で旅行すれば「外国感満載」だよ♪
70年代後半の国鉄仙石線なんか、103系の車体に吊り掛けモーターのとんでもない電車爆走したから。
でそんなインチキばったもんニセ103系電車なのに地元の女の子は皆新車と信じて疑わなかったから(笑)
サハ100のパンタ台付近のバリエーションの多さ
パンタ台、踏み板共にあり、片方のみ、両方なし、
パンタ台の一部だけ残存、さらには両方なしの車両もグロベン追加、グロベンなし、グロベンの位置がズレている車両などもあった
中にはパンタ台にグロベンというトンデモ車両もあった
ところで301系
103系と同じはずなのに、なんであれだけ走行音違うんだ、空気バネって事でか?
当然、抵抗器の音は無いけど
>>95
103-1200とは同じ走行音になると思うんだが。
それとも違うというのなら、アルミ車体で少し軽い分だけ
モーターの負荷が軽いのが走行音に影響したと言えそう >>96
103-1000/1200は普通の103と同じ
301はクーラー積んで重くなっても音変わらなかったから、何かパーツが違うのかも 1980年にわが国鉄大東武鉄道に旅行すれば
すべからく外国感満載でござる。大国鉄181
系系1700系DRCけごんきぬ、157系系1800系
りょうもう、165系系6000系快速急行だいや、
103系系8000系、63系直系7300形、63系傍系
7800系、そしてなんちゃって山手線103系な
72系系5000系と多士済済でござる。
>>95
301系。痴情区間では静かだったぞ。
トンネル内だから煩かっただけ。
中野~三鷹間で乗ったことがあったが、103系中央快速より静かだった。
仮に103系一般型が高鉄区間を走っていたら騒音で苦情が出ていたかもしれない。
101~103系時代の「四谷トンネル」はひどかった。
誤字訂正
×痴情区間
〇地上区間 301が一番飛ばしのは、東西線快速は間違いない
高速域でも103とは音が違う
お前ら和歌山県の下村拓郎様(35歳、元自衛隊)をご存知か、この方は将来素晴しい人物になるから覚えておいて損はないぞ
>>102
それは
帝都高速度交通営団の5000系が静かだからだ >>104 5000系はロータリー式コンプレッサーの音がうるさかったが。後にロータリー式でなくなり騒音少なくなるけど。 >>103
元自衛官!?
何でやめたの?
体力なかったのかな?いじめられたのかな?? 西の103ってボロ多いイメージだけど、塗りドアとか放送増幅機が四角いヤツのは少なかった感じがする。東は塗りドアもちょくちょく見たような
クモハ+クモハの2M
101系は既存車で組成可(鶴見線)
103系は先頭車改造のみ(播但線、加古川線)
ほかにありましたっけ?
クモハ103+クモハ102-1200or3000
って組み合わせの編成は出来なかったな。
東管内で2連じゃないとダメ、って区間がなかったから仕方ないけど
>>104
ところが、実在したのだ。クモハ103+102-1200。
といっても、営業運転どころか、除籍され、機械扱いになって工場内の入替用になってしばらく生き永らえていた。
いつのまにか(機械扱いだけに)解体されてた。 南武支線で2000年代まで残ってたのが不思議だが置き換えに適した車両が無かったみたい
仙石線の105系転用だと1編成不足
103系だと大船の入換車みたくクモハ103-0番台+クモハ102-1200番台でユニットを組まない限り先頭車化改造がいる
101系:方向幕が黒字明朝体
103系:方向幕が青字ゴシック体
南武支線のは方向幕が2種類あって2行で「尻手⇔浜川崎」と1行で「尻手・浜川崎」があった
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>>9
中央線の750番台は103系と並行して作った最終期型だったかと。 >>55
あれってどう運んだんだろう。
自力回送で先頭車すげ替えたのか、
先頭車だけドナドナしたのか >>80
赤羽線は山手線に投入した101のお下がりもらった関係でイエローだったけど、103だとウグイスよく入ったし、
赤羽線10連化で池袋駅のホーム分離したあとは混用多かったかも。
はっきりしてるのは埼京線はウグイスだって事と、
東北新幹線の通す為に赤羽駅改造し始めた77年ごろから
駅に設置された工事計画の案内の完成予想図では
赤羽線電車がウグイス色だったって事。 >>113
なお103系首都圏幕には尻手↔︎浜川崎と尻手↔︎川崎新町が有った。 >>116
クモヤでクハを牽引したのか、それとも貨物列車にぶら下げたのか。
今だと鉄道車両を輸送するときは甲種輸送列車ってのを仕立てるけど
昔は緩かったから、私鉄の新車でも地方私鉄への中古車両でも、
ブレーキ管が貫通すれば貨物列車の後ろのほうにぶら下げてOKだったからな。 >>116
編成単位で製造してまず山手線や京浜東北線の電車区にATCクハの先頭車を納車、そしてボロクハに差し替えて京阪神緩行線のタツやアカ、大阪環状線のモリに配置した
もうひとつのパターンで関西に配置する編成両数(6両編成が多かった)と同数の新造編成を山手線・京浜東北線に配置して代わりの編成全てボロ編成が関西に転属というパターンもある
例えば阪和線のクハとモハユニットが15・16番の編成やクモハ先頭の編成がこのパターン
このパターンの場合山手線・京浜東北線は両端3両ずつが新車で中間4両がボロ車のままになる >>108
九州の1500番台先頭車化改造車同士なら2M組めるのだろうか? >>121
今の3+3連を2+4連に組み替えることは技術的には可能でしょうね。
103系のベストMT比って1:1でしたっけ? 105系へ改造されたのは除いてMは単独では走れません
>>123
TcMMcMcMTcの3-3を
TcMMTcMcMcの4-2に組み替える もうこうズサーーっと山手線も京浜東北線も
お高くとまった高運転台ATC帯付き103系の
時代に編成中に混ざってた低運転台クハの
謎の大磯行きの尻尾をとうとう掴んだ。
Youtubeで相模線の動画見ると最初に出てくるよ。標準色のキハ103とかw 10系気動車の
記録動画としてすんばらしいでござる。
東中野事故ってケツ掘られた103系の乗客が亡くなったの?
亡くなるとしたら潰れた車間の車端シートに乗車?
201の客とウテシだろ
くの字に曲がった201が印象的
連結面間にいて潰されたんじゃなかったっけ。
貫通路に立ち止まらないでください、ってこういう意味だったんだ
って変に納得しちゃった幼少期のオレ
車端席って落ち着くけど、東中野事故で危ないことが分かった。リスクは先頭車両ばかりでない。
中目黒で脱線した営団03系も大破したのは車端だったな。
ボルスタレスになって更に極最近の電車は車端が空いてても
酔うので真ん中に乗っている
>>133
方向幕の下にある窓は、上段下降・下段上昇。 101系は103系に比べ、車体裾がわずかに長い
関西線や阪和線の103系に連結されていた101系からの改造車は、
車体裾の長さが目立っていた
台枠の上に鉄板に床材を貼った103系は、101系と比べ騒音が酷かった
初期車のC2000コンプレッサーと付随車台車、後期車の電動機騒音は一部マニアを除き嫌われていた
五日市線の101系は、方向幕に「武蔵五日市」が入っているのに、
幕は白地で、助士席側の窓に「拝島─武蔵五日市」と書かれた行先板を
掲示して運転されていることもあった
>>138
101系の方向幕に「拝島」ってなかったんだろうか?
もしなかったら、拝島行き向けに行先板を使用していたのかもな。 >>139
写真で見ると、青梅・五日市線101系の方向幕には「拝島」は入っているが、
幕を使用しなかったのは、当時の国鉄の労使関係による対立などがあったのかも
101系の前面方向幕は手動式で、ハンドルを回して行先を変えるだけなのだが >>140
当時の国鉄は掛けサボ、箱サボなどの前サボ類や手動方向幕は私鉄と違って
運転士や車掌が一切扱わなかったね >>141 東武も前面のサボや手動方向幕の変更は駅員の仕事ではなかったか?
国鉄の場合、特に長距離列車だと編成内で車両の行き先が違ったり、二階建ての場合は列車名が異なることもある。そこまでいかないにしても行き先は多様。
決まった区間を往復するような線区ならともかく、サボや方向幕の変更が多様な場合、駅員が集中的に管理しないと間違いが生じるように思えるのだが。 サボの扱い、長距離列車と国電で担当者が異なって構わないんだろうが、国鉄の場合、前者での慣行が国電にも一律的に適用されたということかも。
>>134
夏場は全開にした窓から下車する馬鹿がいた。
武蔵境で西武線に乗り換える外国人w 103系のサハやクハは走行中 ガラガラゴワゴワうるさい車両が多かった、(検査直後は静か)
大阪環状線では103系、桜島線と片町線では103系と101系の両系列が使用されて頃、
天王寺~鶴橋~京橋~大阪~西九条~桜島間の電車に101系が入ることもあったが、
大阪環状線でたまにこの101系に乗ると、103系よりも101系はモーターの音が静かなような感じがした
>>43
101系にも附属3両だけ冷改した編成があった。
全部冷改すると重くてスジに乗れなかったそうな。 片町線には冷房改造された101系が配置されていたが、関西線の101系は
全廃されるまで全車非冷房だった。
関西線の101系は京阪神緩行線から転用された103系に置き換えられたが、
この103系も関西線に転属当初は冷房車の編成と非冷房の編成があった。
>>146
当時、是政線沿線に外国人スクールがあったはず。
そこに通うガイジン連中(中高生?)が、下り快速の窓を全開にして完全停止しないうちに飛び降り、
目の前の西武是政線へと乗り換えていたもの。
是政線は今の多摩川線のこと。
古くてスイマセン(^。^)y-.。o○ >>152
うちの親も是政線って言ってたから
自分も、是政線とずっと思っていた
一緒に連れていかれるのは、是政一駅手前の施設w 全金クハ79は101系そっくりだよね。
戦後十年でここまで作りがよく出来るんだと
感慨深い。進化論的に言うとボコボコの
モハ63がおたまじゃくしとすると全金クハ79は足が生えて尻尾が短くなった半ガエル。
101系は晴れて完全なカエルになった感じ。
その後の103系高運転台はお高くとまって
面白みに欠ける。
920番台はモハ90試作車もだけど雨どいが埋め込まれて美しい
でも水害にあったり年式はそんなに古くないのに旧国淘汰期になっちゃって
短命のものが多いようだ
>>154
>その後の103系高運転台はお高くとまって面白みに欠ける。
→けだしうまい表現です♪
国鉄時代の運転士の聞くと、高窓車は機械スペースで窓が潰されていたから、
車内から客に覗かれないため、高窓が来るとホッとしていた....と聞きました。
E233の様に、背面に余裕空間があれば良いだろうけど、
103/101系では間仕切り壁に背中が密接してたから、
あれでは、客から見つめられるのがイヤになります(笑) 関西のクハ103高運車は、モロかぶりつきできて良かったが運転士は真後ろ気になったろうな。
>>158
あった。
更に、低運転台冷房クハと違い、客室側から見て左(運転手側)と真ん中の2枚+右の扉に1枚の計3枚あった。 えーここで各地の72系全金車の声をお伝えします。
御殿場線 「クロスシートだったら横須賀線走れたのにと残念です」
片町線 「中央線快速になれなかったのが悔しい」
鶴見線 「元々この色だが何か?」
富山港線 「京浜東北線になれなかった 欝」
仙石線 「山手線になれなかった 涙」
東武鉄道7800系(昭和36年産まれ)
「お前ら元気出せよ」
岸田文雄 「東大生になれなかった」
萩生田光一「早大生になれなかった」
Intel 486 DX 4 「Pentiumになれなかった」
ヒバ 「檜になれなかった」
訂正 東武鉄道7800系(昭和36年産まれのシルヘッダ付き)
東武7800
池袋で、乗務員ドアから良く降りたもんだ
東武の下駄電は「7800系」なの?
「78系」ではなかったのですか?
自分は2ドア下駄電の「5700系」or「57系」が大好きでした。
103系っうのは、仙石線多賀城駅高架化工事で
多賀城駅止まりを東塩釜駅折り返しに変更して編成数が
足りないから郡山駅構内(郡山工場)にいた編成を仙石線に再投入した
電車がJR東日本の現役最後の編成だったか?
京浜東北線電車新性能化の際、スカイブルーの101系も同線に投入されたが、
見た目はスカイブルーの103系とほとんど差異は感じられなかった。
>>166
京浜東北線は103系導入後に101系が導入された唯一の例? >>168
京浜東北線の電車は700両以上あったため、103系で同線の旧型電車を
すべて置き換えることができず、103系投入後もしばらく旧型電車も残った。
中央線・総武線から捻出された101系により旧型電車がすべて置き換えられて、京浜東北線の電車は新性能化された。 >>169
101系が中央総武線から京浜東北線に移籍したのは中央総武線に201系が入る前なんだが、101系をよく捻出できたよね? >>170
確か予備車両の必要数の見直しでやりくりのめどが立ったから回せたらしい。 >>164 東武は伝統的に多桁形式?なんで
ななせんはっぴゃく系ですね。
ななはちというのは略称ですね。
下駄電=吊り掛けという意味でお使いの
ようですが、5700系などは本来優等車両で
貴なる方々がよそ行きの格好で日光鬼怒川に
保養に出掛ける車両なんで下駄電とは違うかもw 関西線の101系は、日根野電車配置といっても普段は奈良運転所、
奈良駅構内、王寺駅構内の電留線に常駐していて、入出区、交番検査、仕業検査もここで行われていて、日根野電車区には台車検査の時以外は、戻ることはなかった。のちに京阪神緩行線から関西線に転属してきた103系も同様
王寺駅構内は101系が冠水で有名ですがその後は被害なかったのかな?
>>166
昭和51年頃は
大宮側改101系低運転台3両+大船側103系高運転台7両
この編成で間違いないべか。 >>177
そりは記憶違い
101と103の併結・混結はできないよ >>178
日根野電車区で、関西線101系と切り離された103系が検査や
入れ換えなど作業などの関係で、併結されて留置されているのが見られた。 >>178
103系700番代に改造していないサハ101系が使われたことがあったと思う。
最小限の改造はしたと思うが。 >>179
そりゃ密連同士なら繋ぐこと自体は車種問わずにできますわな。
ジャンパが無ければ相互の電気的な制御はできない。 160 続き
萩生田光一 「俺なんか付属だったのにブツブツ」
可部線 「ボクなど全金でもないけど山手線にこの色で走ってたみたかった。でも赤面症だから無理ですね」
山手線高運転台103系 「みんな山手線が良い良い言うけれどそんないいもんじゃないぞ。こき使われるし、せいぜい10年したら郊外に飛ばされるし。むしろ東武のナナハチ君の方が転勤出向なくていいんじゃない?」
東武鉄道 7860系 (昭36生シルヘッダ付き)
「いや、越生線とかあるし…」
桜井線103系1000番台 「生ぬるい。オレを見てみろ」
>>180
103系に併結はサハ101−55、58の2両 日根野電車区構内の材料線に淀川電車区配置のサハ101改造のサハ103-779が
クハ103-536と連結されて留置されていた。
クハ103-536は、色褪せて車体は塗装が剥がれ落ちたりしているなど、
ボロボロになっていた。
クハ103-536は平成7年9月11日、廃車
サハ103-779も平成8年5月11日、廃車となった
>>173
貴殿の博識に敬意を表します。
鬼怒川の先、会津で作られてる桐下駄は高級品です...(笑)
下手な皮靴より高くて驚きました。
from164 >>183
森ノ宮の8連の為にジャンパ取り替えてたやつ
101系のTT'ユニットそのままってのもポイント高い Wikipediaによると、昭和50年代の京浜東北線は
中央線他より掻き集めた101系を改101系に改造(国鉄の壱拾八番)
で、大宮側はその改101系3両で非貫通編成になっていた。
当時、乗っていた人が証言してるから間違いなし。
>>187
色を塗替えた以外は大きな改造は無い筈
若番のサハ101ー7,サハ100ー7の後付けの荷棚握り棒も、配属前に取付けていたものだった
改造と言えば’73年夏にうぐいす色の関西向け転属車が一時入線したが、その頃ドア上に貼ってあった大きなシールの首都圏路線図が無く、広告枠に小さな地図が貼ってあった位だ そんで、今は亡き平日の南浦和駅始発の
この編成で大宮寄り3両に蕨駅から乗り込むと、
平日にも拘わらず、着席できるチャンスがMAXだったわ。
まぁ、田町駅まで途中駅から激込になるんだから疲れるわな。
この頃は東京駅では、隣りのホームには東海道線島田行きが
出発待ち中で、さらに秋葉原駅付近には横須賀線の退避電車がおったわ。
101系と103系とがチャンポン気味になりつつあるようです....
京浜東北の101系は’77年に南武線などに転出して消滅、僅か6年の活躍で殆ど限定運用
北浦和付近では、EF57牽引福島行の前後に北上、折返し南行は157系特急白根と並走していた
84年時点でも低運クハを編成中に挟んでる
京浜東北線があったけどあれは純正103系
だったんだよね?行き先が大磯とかになっててびっくらこいた。もちろん両端はお高く止まった高運転台帯付き
MT46搭載系列のサウンドの静かさが短命系列のせつない思いでになっている。
>>182
萩生田って早実だろ
付属じゃなくて係属な
当時だと早大への推薦は6割程度 >>192
下十条のピット長さの都合で、分割編成じゃなきゃいけなかったんだっけ >>190
そんなことはありません
ここは、埼玉県・東京都・神奈川県(長崎県ではありません)。
と、爺がわけわからんことを言ってます。
っうか、大宮側低運転台101系3両+大船側高運転台103系7両は
1976年ころは実際に運用されていたのは事実です。
利用していた、おれが証言しておりますぅ。 >>196
> おれが証言しておりますぅ。
こんな奴信用できねえよw >>172
補足すると房総各線まで延長してた101系が東京駅地下ホーム開業で113系化されて捻出したもの。 101系が千葉以遠に入って多様な書き込みがあるけど
何処まで入ってたのですか?
自分は千葉までしか知りません....
101系と103系の違いの「ひとつ」は、コンプレッサー音だと思う
誰かが書いていたのなら陳謝....
>>197
だな。
中央線から30両
その後総武線から20両 埼玉県南部住民だけど池袋から先へ行く際は、赤羽線101系のドア閉めが子供にとってはやたら怖かったな。
京浜線「チウ!スルスルスルスルカチョン」
赤羽線「クスーガラガラガラガラガラバン!」
あのけたたましさは今思い出してもやはり怖さがある。
>>206
その当時の111系〈113系の前身〉の扉は、
締まる直前、左右の扉同士が遠慮しあってて、なかなか締まろうとしなかった。
113系で改善されたけど...。
115系はどうだったか記憶ない(/ω\) >>207
115系はエアを抜けたら手で片側でも開閉する半自動。
なのでロッドリンクやベルト連結したのと違い、閉まるときだけは左右がバラバラに動いていた(いる)。
西日本のボタン式のはどうなったか知らんです。 >>206
ST式採用する前の101系はドアエンジン2台が戸袋の下近くにあってアームが見えてた様な覚えがある。
103系からST式でドア上のベルトの動きが見えてた。 >>208
あーそういや小さい頃婆ちゃんの別荘行く時篠ノ井線で取って使って開けてたっけ >>209
いや、101系はドアエンジン1台か
記憶が混じってるな 変な書き方しちゃった。
もとい、
→半自動の時は手で片側1枚だけでも動かせる構造のドアエンジン…です。
>>208
117系もよく似た動作だったけれど
名古屋近辺で半自動にしたことはあるのだろうか 休みの日くらいゴロゴロしていたいのに
子供にせがまれて遠路はるばる房総に海水浴
連れて行かされたと思ったら電車がいつも
通勤で乗ってる電車で正直ウンザリっス
牛に引かれて善光寺まいり行ったらこないだ
まで通勤で乗ってた地下鉄の電車でゲンナリ
っす奥入瀬渓谷に行って新緑の中でリフレッシュと思ったらいつもの通勤用東急電車が来て
仕事思い出してテンションダダ下がりっすインドネシア旅行に行ったら千代田線が来て目を疑いました
「都落ち」した江戸っ子電車の大半は、足回りが改良〈改悪??〉されていませんか?
■空気ばね→コイルバネ化
■サイリスタ制御→抵抗制御化
■冷房→形骸化
....etc
>>216 足回り改悪するんだったら地方私鉄からの引き取りないんでは?
冷房も同様。むしろ、秩父鉄道の1000のように譲渡に伴い冷房付けてるのもあるし。 >>216
弘南鉄道に行った東急7000は台車そのままなのに、北陸鉄道に行ったのが
台車を取り替えているのは、ブレーキ。
どちらも雪が降る地域だけど、その雪質が全く違うからな。
北鉄で使ってる台車、国鉄101由来だっけ?西武の同一設計品だっけ? >>218
東急も国鉄101系も西武も東京の電車なのに
その台車が雪国で合ったり合わなかったりって面白い話だよね 新潟以南のベチャ雪はむき出しのキャリパーに噛んじゃうからか
京福電鉄に譲渡された阪神3301型は、台車と主電動機が101系の廃車発生品に
取り換えられて使用されていた
昔、父親に連れられて秋葉原~浅草橋を何度か乗ったことあるけど、
その時、サハが3連連なった編成の光景に子供ながら心ときめいてしまった。
ランボードがあるのにパンタが無かったりとか、謎でいっぱいだった。
昔、天王寺駅前のビルの上から天王寺駅構内を見ていると、
屋根にパンタグラフの撤去跡のある車両が連結された関西線の101系が
天王寺駅に入線してきたが、この車両はパンタやモーターを撤去してサハ化されたのか、パンタの無いモーター付き車両に改造されたのだろうか
小学高学年頃になってコンプレッサーはC1000「ストトトトト(チャチャチャチャチャとも聞こえる)」と2000「ギュルルルルルル〜」とがあるのを知った。
京浜東北で東京駅に来ると東海道113系や中央101系がそれらを奏でていた。
実は上野口にもあったんだけどね。
1000は概ね年式の古い電車が載せてるって偏見があったが、1980年代でも113系415系の新車に積まれたんだよな。
なんのかんの今でもあちこちで使われてるし、逆に2000の方が国鉄型の終焉と共に先に消えそうな気がする。
>>90
当時の仙石線下馬駅や本塩釜駅では、外国人が結構乗降していたと思う。
なぜかと言うと、夏の海水浴ベストシーズンには七ヶ浜町花渕浜の
高山国際村(表浜)は日本三大外国人避暑地(軽井沢・野尻湖)だったから
マブい欧州系のおねえちゃんがいっぱいいたんだよ。 あぁ、いまでもいるからね。
夕方になると、マブいおねえちゃんたちが
浜辺でバーベキューをしてるよ。
>>222
早い話が、廃車寸前の車両をかき集めてきて適当に且つ精一杯つないだ、
哀れな結果...ということです。
馬力を揃えて走ればいい...という御上の結論なんですよ。
今にして思えば、"お楽しみてんこ盛り"ですけどね(笑) >>225
まぁ、塩釜・多賀城あたりを知っている人にとっては、
なんでこの話しから仙石線多賀城駅のことが抜けているのよ・・・
と、思ってることでしょうね。
当時の国鉄多賀城駅は乗用車は駅構内に進入できても、大型バス等は入って
いけなくて、現在の国道45号線吉野家付近が多賀城駅入り口のバス停だったんだよ。
で、なぜかその当時は国鉄仙石線よりは路線バスの方が便数が多かったです。
1時間あたり仙台市営バスと宮城交通が仙台~塩釜営業車(車庫)まで
走っていてその運転本数が7~8便も走っていたのが、平成に入ってからは
仙石線の方が運転本数が多くなり路線バスは廃止に追い込まれました。
まぁ、余談ですが仙台市営バスは塩釜車庫から七ヶ浜菖蒲田線も走っていました。 >>228
> なんでこの話しから仙石線多賀城駅のことが抜けているのよ・・・
> と、思ってることでしょうね。
いや、別に
むしろ「話し」の方が気になる
はなししって何みたいな >>90
【バッタもん】
懐かしいことば
で、国鉄仙石線72系改(103系)はどっから仕入れてきた【バッタもん】だったんだろうね(笑)。 山手線 高運転台103系 「まぶいおネエちゃんたちだって?」
東武鉄道7300系 「オレ達は車体更新して
機械の体になってるからバッタもんとは言わせない」
同1720系「元々機械の体だろ」
同5050系「機械の体でもシルヘッダ付きのままじゃなあ」
萩生田光一「早実だったのに…」
まぁ、ネタで書いてるんだろうけども
マブいおねえちゃんががいるのは、
海の高山 宮城県七ヶ浜町花渕浜の話し
日本三大外国人避暑地
山の軽井沢
湖の野尻湖
海の高山
で、三大の割には一番ショボいのが表浜の高山外国人避暑地なのよ。
>>223
当初全電動車にする前提だったが、変電所の容量の関係から直ぐにはムリで、やむを得ずサハを将来モハ化出来るように準備した状態で作った。増備途中で全電動車化は断念し、パンタ台等準備したサハはそのままサハで生涯を閉じたって感じです。 >>223
パンタグラフ準備車...と言ったところでした。
パンタ化は実現しませんでしたけど 昭和の時代には、東京駅から田町(区)方面に走る
回送の寝台列車(ブルートレイン)にパンタグラフが
付いていたのがあったね。
あれって、電化区間はパンタグラフから受電して
非電化区間では電源車から電気を供給してるのか(知らんけど)。
カニ22のパンタグラフは8年くらいだから
ブルトレ客車のパンタ付きは平成時代のほうが長いよ
スハ25形300番台は15年くらい走ってたから
カニ22は
直流電化区間 パンタ区間から受電して電動発電機を使用
交流電化区間と非電化区間 ディーゼル発電機を使用
田町駅にて
オレ *ホーム新橋側端に立つ
慶大女子A「あれーなになに?あの人何撮ってるの?」
慶大女子B 「でんしゃ…」
慶大女子A C「(≧∇≦)」
オレ (汗)
235 「おおっ ブルトレ客車のにパンダがついとる‼」
NEC社員 * 疲れて死んだ表情
山手線103系低運転台 *入線 「こんつわー」
慶応女子 D「なにこの電車、カワイイ」
山手線低運転台 *照れ
京浜東北線72系ぶどう色 *入線 「もともとこの色だが何か?」
慶応女子 D 「何これ。ボロい暗い怖い」
京浜東北線72系ぶどう色 * 汗
>>236
青函トンネルが出来て寝台特急を増発することになって電源車が不足したときの
北・東と西の考え方の違い、だよな。
北斗星を増発するに当たってマニ50を電源車に改造したのが北と東。
直流電化区間のみの運行だったあさかぜ・瀬戸の電源車をSIV付のロビーカーにして
本来の電源車をトワイライトエクスプレスに転用した西。 中央線快速に103系が投入されたとき、それまで101系を運転していた運転士は、
103系は101系とは走りっぷりが違うので運転しにくかったとか
>>240
これは中央快速で古い101系より103系が早く引退した理由の一つ
同様に仙石線でも停止位置が確認し辛い、という理由で新しいクハ103高運転台車が先に淘汰された お前ら和歌山県の下村拓郎様(35歳独身、元自衛隊)をご存知か、この方は将来素晴しい人物になるから覚えておいて損はないぞ
>>242
そんなやつ知らねぇけど...
幹部候補になれぬ盆暗は40歳前に除隊させられるんだよな...
でも車の運転技術だけはあるから...
宅配便やトラック輸送会社には求人がある。
もし防衛大学校を出てれば三●重工などにも再就職できるが...
エリートコースである防衛大を出て自衛隊に進む馬鹿はおらんよな!!
35歳でまだチョンがーか???
童貞は隊に置いてきたやろな???
童貞持ったまま、娑婆に出てくんなよ。 スハ25のSIVとはStatic InVerter の略か。電動発電機に対してということかな?
Silicon Inverterかと思うとった。ってか真空管のインバータなんてあったんだろうかw
直流で発電機をモーターで回して交流を
発電するなんてなんと涙ぐましかったのか。
子供のころマブチモーターをふたつ繋いで
豆電球つける実験やったな。
図書館で初歩の電子工作の本にトランスの
一次側にたくさんタップがついていて、
ここに繋がったトランジスタを順々にON
していってなんちゃって正弦波を出力する
インバータがあったが、そんなトランス手に入るんか?初心者でそんなめんどくさい工作する人おるんか?ち思った。
>>244
> 直流で発電機をモーターで回して交流を
> 発電するなんてなんと涙ぐましかったのか。
東海道新幹線では綱島周波数変換変電所で
交流50Hzで発電機をモーターで回して交流60Hzを発電してるよ
涙ぐましいかい? きょう、JR仙石線の下馬変電所付近を
訳ありで散歩してきたんだが、
なんか構内建屋に ” 昇圧中 ”っう看板(シール)が貼ってあったが、
これって、東北電力の交流変電所から何Vがわからんが
それをこの下馬変電所で直流1500Vに変換してるっう意味ですかね???
訳ありの理由( ´艸`)
近くの病院で採血があったから散歩で(;´・ω・)を書きたかったんで!!。
こう言うのを世の中では無駄な抵抗っうんだよね。
>>246 抵抗っうんだよね。
「ていこうっつうんだよね」と表現したければ、
「つ」をひとつ追加して、「抵抗っつうんだよね」と書くべし!!
>>抵抗っうんだよね。
「ていこうっうんだよね」となってしまう。
甚だ僭越ながら...( ^^) _旦~~ 南武線から引退した101系6両編成1本が外房線太東~長者町間の旧線の
橋梁上に横風に対する試験のために留置されていた
>>245 調べてみたけど通常負荷だともう
モーター使わんくても変換出来るんだね。
ただ地絡短絡した時に許容損失超えて一気に
壊れるんでモーターいいやモートル回すということかな。しかし直交でなく交交でいちいち
そんなしちめんどうくさい事やらにゃ行かんなんて、日本国内の東西で周波数変えたのはどこのどいつだサインしろおらんだお前じゃないだろだ。 101は初物故に育てるのに失敗した上の子みたい
この子は全モーターならちゃんとできるんです、てな感じ
103は現実主義者だがぎゃんぎゃんうるさく下品な所もある下の子みたい
101系のなんか儚い音色は結構好きですが
EF54 「失敗だって?」
C54「巡り合わせってものもあるよ」
萩生田光一 「分かる」
DD54 「オレ陸上部」
>>247
僭越ながら、鉄道貨物板では
っうか !!。
これは標準化された発明語として承認を頂いております(笑)!!。 >>249
いろんな国から発電機を輸入したから電圧周波数バラバラで、それを何とか50・60Hzの2種類に統合したけど
それ以上の統合は無理でした。 バカな爺の質問!!。
交流20,000Vと
直流1500Vでは
どちらが強烈にビリビリきますか。
一番痺れるのは地上に降りた最後の天使の
君のひとみの100万ボルトザ・ベストテン
です。交流2万ボルトの方が感電はしやすい
ですが、どちらもまともに感電したらauto
だと思います。手の甲で触れ。
交流を直流にすることは整流と言います。
昇圧とは元の電圧よりも高い電圧に変換する
事です。交流から交流に昇圧あるいは降圧
することは巻線トランスひとつあれば簡単
です。交流を直流にするには今だと半導体
ダイオードを使えば簡単です。昔はセレンとか
涙ぐましく水銀ガスの詰まったガラス管を使っ
てやっていたようですが回路的にはまだシンプルです。ややこしいのは1度プラスとマイナス
になってしまった直流を交流にすることです。
シンプルですが最も涙ぐましいのがせっかく電気エネルギーという形になってるのにそれでモーターを回して物理的に運動エネルギーに変えてそれでまた発電機を回して交流電流を得る事です。カニ22の時代はわざわざこのくっそ重い
モーターと発電機を事もあろうに、車輌に乗っけてそれを機関車に引っ張らせるという事を
やっていました。
スレ違いの内容で長文
訳の分からない改行
読む人いるのこれ?
最後の2行以外は有益な書き込みだから、
マジ読みしてまったわ。
>>259
そういうの要らないです
何でこういうことは覚えるのが早いんだろw >>258
そういう手合いは、
スマホのテンキーを無我夢中で叩き続けてる輩だから、
己の本能の赴くままに単語を羅列してるだけであって、
読んで貰うための文章を構成しようと言う知恵や配慮はない。
PCのキーボードから書き込んだ文章と、
スマホから垂らし込んだ文章とは、
その差歴然です。
スマホの達人さんには申し訳ないですが(*^_^*) >>261
> スマホのテンキー
スマホって数字で日本語打ち込むんですか? >>262
おそらくスマホのソフトキーのテンキーライクな表示のことだろ。
テンキーだったり、ひらがなだったり、ラテン文字だったりをテンキー枠で切り替えて表示させる奴。 例えていうなら....
高市早苗のパンツ=101系
小池百合子のパンツ=103系
※人物名はいずれも架空の物である。
赤い公衆電話・・・・・101系
水色の公衆電話・・・103系
どうだ?
黄色もあったしピンクもあった。
水色によく似た黄緑(薄緑)もあった。
>どうだ
⇒どうってことねぇーよ。
おめぇって隠居老人だろ???
古いだけが取り柄の、馬鹿老人だよな。
がはははははははははははは(^^♪
5ちゃんは、これだけ相手を褒め称えても削除されないから、いいよな♪
がはははははははははははははは(^。^)y-.。o○
水色の電車・・・京浜東北線
うぐいす色・・・山手線
黄色の電車・・・総武線
オレンジ色の電車・・・中央線快速
どうだ!!。 正解やろぅ。
>>269
一説によると、山手線に黄色の101系を入れたのは、将来の総武線転出を見越してと聞いたことがある。 仙石線 72系 「都会人山手線をウグイス色と言うが、オレらの方が本当のウグイス色だ。本当のウグイスはあんなに鮮やかな緑ではなくてどちらかと言うとオレらのように色褪せて
ブレーキ粉とかで薄汚れていて地味なものだ」
東武鉄道 7860系 「それは自慢なのか自虐なのか分からん」
南武線 72系 「元々地味だが何か?」
可部線 72系 「赤面症じゃなければオレらだって」
茶色の電車・・・南武線
茶色の電車・・・横浜線
茶色の電車・・・鶴見線
オレンジ色の電車・・・南武線快速
どうだ!!。 正解やろぅ。
>>273
お前は孤独な爺ちゃん...
どうだ!! 正解やろ???
>>どうだ!!。
⇒文末の「。」は蛇足だよん♪(^。^)y-.。o○ !!。
これは、令和に開発した仙台地区ではお馴染みの・・・
東武鉄道 7800系 (セージクリーム)
「あんなぁ、兄ぃ、国鉄総武線の黄色い連中、
あれ何でカナリア色なんだろうな?カナリアって黄色いのとオレンジ色のとあるじゃない?
元々が黄色とオレンジ色で鈍行か快速か区別
するものなのに、黄色もオレンジ色もある
名前つけてどうするんだろうな?」
東武の「セージクリーム」全盛時代に伊勢崎線+日比谷線で通学&通勤していたが、
評判は最悪だった。
▽電車が裸で走ってる...
▽電車が薄汚れた裸でやって来た...
と、酷評芬々。
職場では「お前、あんな電車で通勤してるのかよ!?」とまで....。
東武としては他社の真似をしたくなかったのだろうが、あれは酷すぎた。
>>278
あれは下塗りの姿で出場したと思った
同じ頃不評だった国鉄タラコ色キハは錆止めと揶揄された 初めて見た時は垢抜けたなと思ったけどね。
日本人は基本的に淡い黄色のベージュや
クリーム色が好きだよ。家の内装、外装や
女の人のブラジャー見れば分かる。
伊藤喜三郎と申します。
83才寅年でございます。
国鉄で101型電車の試運転と103型電車の試運転をやりました。
2つの違いについて申し上げますと、まずは型式が違いまして、先に出たのが101型でございまして、後に出たのが103型でございます。
この前息子が、いちまるいちけいといちまる
さんけいは何が違うのかと何度も聞くものですから、電車に詳しくない私は困ったのですが、
運転手さんの窓が下の方にあるのがいちまる
いちけい、上の方にあるのがいちまるさんけい、と答えました。息子は嬉しそうに納得して
いましたが、あとで私はこれで正しかったの
だろうかと少し不安になりましたので、みのもんたさんにご相談する次第です。
んじゃ~!!。
101系・・・低運転台
103系・・・低運転台・高運転台
101系・・・冷房車がなかった(おれが利用していた1970年代は)
103系・・・冷房車が先頭車のみとかわけわからん編成があった(1977年以降は冷房車が増えた)
101系・・・京浜東北線で走っていたのは他線区からの転籍車両(色塗り替え)
もっとあったら書けw
中央線の101系に冷房車が登場したのは1970年、翌年山手線103.系にも冷房車。
当時は学校や職場で「今日は冷房車だったよ と話題になったものです。駅の放送も 「この2本あと冷房車が参ります」 などと言ったりしていた
冷房車が来ますっう構内放送はあったね
懐かしく思い出した。・・・・蕨駅利用者